最も美しい花




仲が良いとは、思う。高校三年生、受験や就活のあるこの年に一緒になったクラスメイトたちは男女問わず仲が良い。行事に熱くなるお祭りタイプの人間が集まっているし、文系だろうと体育系だろうとそれぞれに適材適所で役目を見つけて振り分けてくれる担任がいるし、明るくクラスを盛り上げてくれるムードメーカーもいる。その中にいる花巻とは、特に仲が良いと言える。勿論、友人として。

「なあ、夏休みにある祭り、皆で行かねー?」
「いいねー!行こう行こう!」

そんな声が上がるのを、どこか別世界のような気持ちで聞いていたら、いつの間にか花巻が机の前に立っていた。

、祭り行こうぜ。……岩泉も、バレー部の連中に連れて来させるからさ。どっかで皆とはぐれて会えるようにしてやるよ」
「……いいの?」
「当ったり前だろ」

岩泉一。花巻と同じバレー部で、漢気に溢れた人。高校に入学する前に痴漢に遭っているのを助けてもらった日から、ずっとずっと、長い片想いを続けている。クラス分けで同じクラスになったことはない。つまり、接点はない。たまに体育館の外から、バレー部の練習を覗き見るのが精一杯だった。そんなとき、同じクラスの花巻に声をかけられた。岩泉のこと、好きなの。彼のその、興味本位に覗き込むような視線は好きになれなかったけれど、協力してあげるという甘い言葉に惹かれた。趣味、好きなもの、好きな女の子のタイプ、全て花巻から得た岩泉一の情報だけが頭の中に積もっていく。たまに、彼と話せるように花巻が協力してくれることもあったが、緊張して上手く話すことさえ出来なかった。彼は困っている女の子がいたから助けただけで、もうを助けたことすら覚えていない。彼の好みの女の子に、自分がなれるとも思えない。それでもその恋を捨て切れず、三年経った今も胸の奥に大事に持ち続けている。そして目の前の男も。何が楽しいのか、未だこんな進展のない恋に協力してくれている。

「花巻」
「ん?」
「……ううん、なんでもない」
「なんだよ。あ、祭りの日は浴衣着て来いよ。アイツをドキッとさせてやろうぜ」
「うん……あの、ありがと」
「いいってことよ」

どうして、こんなに良くしてくれるの。その疑問はいつも喉元でつっかえて、声になったことはない。クラスメイトの女友達の為だとしても、チームメイトに彼女を作る為だとしても、花巻には何のメリットもない。誰もがギブアンドテイクで行動するわけではないにしても、花巻の行動はあまりに利他的すぎている。そもそも、自分だって彼女はいなかったはずだ。同じバレー部の及川ほどではないがモテるのに、知る限り一度も告白をオーケーしていたことはない。それなのに、どうして他人の恋にここまで協力的なのだろう。それを聞いたらなんだか、この関係が変わってしまいそうな気がして、訊ねることは憚られた。
夏休みに入り、クラスメイトに会うことも、岩泉と廊下ですれ違うこともない日々が始まった。花巻と会うことも、勿論ない。祭りの当日、ちゃんと浴衣で来いよ、とだけラインが来た。この日のために新しく購入した浴衣を姿見の前で羽織り、眺める。白地にピンクの朝顔があしらわれた浴衣。こういう色は、普段着ない。似合うわよ、と断言する売り場のおばさんに押し切られたが、あまりに可愛らしすぎるだろうか。不安になる。

花巻は、どう思うだろう。

そう考えて、ハッとした。何故花巻のことを考えているのだろう。普通は、好きな人にどう思われるかを一番気にするべきなのに。岩泉の顔を思い浮かべて、は頭を抱えた。あまりにも彼と接することがなさすぎて、彼がの浴衣姿を目に留めたところでどう思うかなんて想像もつかない。むしろほとんど知らない人の浴衣姿なんて、なんの感慨も抱かないのではないか。だって岩泉には、なんとも思われてなどいないのだから。ならこんなもの、着て行ったって何の意味もない。やっぱりやめよう。そう思って浴衣を仕舞おうとしたけれど、花巻の言葉が頭を掠める。結局、髪をセットして母親に浴衣を着付けてもらった。待ち合わせの公園の前には、既に見慣れた姿がある。紺色の甚平は、彼によく似合っていた。

「花巻!」
「っ、おう」

僅かに上ずった声で返事をし、花巻は上から下まで浴衣を眺めた後、眉を顰めた。やはり、浴衣が似合わなかっただろうか。

「浴衣、どうかな……」
「あー、うん。可愛いんじゃねーの」
「……花巻も甚平、似合うね」
「ドーモ」

ほとんどこちらを見もせずに言われた言葉に、心が軋んだ。花巻なら、嘘でももっと褒めてくれるような気がしていた。望みない片想いの話を何度も聞いて、アドバイスや慰めをくれる花巻なら。ちゃんと、可愛いと、似合っているから大丈夫だと、言ってくれるものだと思い込んでいた。岩泉とは違う。よく知りもしない間柄ではない。好きな食べ物も、好きな色も、好きな音楽も、最近見ているドラマも、ハマっているものも、好みのアイドルも、恋の話も。全部顔を見合わせて、語らっては笑った仲なのだ。好きな人の話だって、花巻にしかしたことがない。誰にも触れることを許していない心の深いところに、一番踏み込んでいるのは間違いなくこの男だ。

だからーーだから?

考えて、はふと思い至る。この浴衣を買うときに、自分は何を思っていたのか。そして、そんな訳ない、と思い至った考えを頭の奥底に押し込めた。並んで祭りの方に歩きながら、クラスメイトたちとの待ち合わせ場所へ向かう。何人かはもう既に集まっていて、こちらへ手を振っている。

「あー、さん浴衣だー!可愛いー!」
「ありがと。そっちも可愛いよ」
「ありがとー!やっぱ夏祭りくらいしか着ないもんね」
「浴衣女子が増えると華があるよなぁ。さん、そういうの着るんだ」
「うん、まあ」
「花巻の甚平もキマってるじゃん!」
「さんきゅー」

二人それぞれがクラスメイトたちの会話に混ざりながら、目線を交わす。とりあえず適当に皆で祭りを楽しみつつ歩いていくが、人が多いこともあって何人かは途中ではぐれた。はぐれたのは意図的になのか、そうでないのかは、わからないけれど。苺のカキ氷を口へ運ぶの隣に、同じく苺のカキ氷を持った花巻が並ぶ。

「花火始まったら、はぐれるぞ」
「え、うん」

こんなふうに意図的にはぐれた人もいるのだろうか。少人数で回っていたらわからなくなることもあるかもしれないが、人数の多いクラスメイトの集団を見失うことは意外と難しい。普段とは違う姿、普段とは違う場所、普段とは違う雰囲気。それを利用するには今回の祭りはもってこいだ。このふわふわとした非日常的な雰囲気に飲まれてしまえば、勇気を出して告白することもできるのかもしれない。花火の打ち上がる音ともに、二人はこっそりと集団から離れて歩き出す。

「多分いつもの流れだったら、今頃あいつら食い物屋台の方にいるはずだから」
「うん」
「あと……さっき言えなかったけど、その浴衣すげー似合ってる」
「あ、ありがと……」
「なんか普段と違うとびっくりするもんだな。岩泉も、ドキッとするぜ、絶対」

いつもと違って驚いたから、さっきはこっちを見てくれなかったのか。少しは女らしく見えたらしいとわかって安心する。けれど岩泉はどうだろうか。岩泉は普段のを覚えているのかも怪しい。何とも思われなくて、断られる可能性の方が高い。むしろ上手くいくことの方が思い浮かばない。この恋は岩泉の前で口に出したら、きっと終わってしまう。でも。それでも、ただ見つめることしか出来ないでいる、今の状態よりはいい。祭りの熱に浮かされて告白して、それが上手くいかなくても。は目の前を歩く背中を追う。今なら慰めてくれる相手がいる。祭りでパーッと遊べば、悲しい気持ちだって幾分か紛らわすことができるはずだ。だから、岩泉に会えたなら、勇気を出して告白しよう。がそっと決意していると。

「あ」

前方に、岩泉の姿が見えた。他のバレー部の面々もいる。花巻も気付いたようだ。この決意が鈍らぬうちにと、はその方向に一歩踏み出そうとした。だがそれは叶わない。の腕が、強く後ろに引かれたのだ。

「え?」

腕を捕まえているのは間違いなく花巻の手で、疑問符と共に見上げた彼の瞳を見て、は耳の奥で心臓が大きく鳴るのを聞いた。岩泉に恋をしたあの日さえ。こんなふうに胸が軋むほど、心臓が脈打ったことはなかった。熱を帯びた瞳。僅かに焦燥を滲ませる表情。強く腕を捕まえる手から、行くな、という言葉が伝わる。花火がまた、打ち上がる。その音で弾かれるように、花巻の手が離れた。

「あー、すまん!人たくさん来てたから危ないと思って……今、岩泉たちいたよな?行くぞ!」
「……待って」

誤魔化したって、最早手遅れだ。一度気付いてしまったら全てが腑に落ちる。こんな望みのない片想いを、ずっと応援してくれている理由も。告白を全て断る理由も。そして先ほど、腕を掴んだ、その理由も。明るく笑うその裏で、岩泉への想いを聞きながら、彼はいつもどんな気持ちで慰め、励ましてくれていたのだろう。考えれば考えるだけ、の心はやるせなさでいっぱいになった。一体いつから、彼はその想いを抱えてくれていたのだろうか。きっと最初は違ったはずだ。あの興味本位の目をしていた頃は、のことなんて、なんとも思っていなかったに違いない。けれど、いつからか、彼はずっとのことを想ってくれていたのだ。そして、それに気付きもしないまま、きっと彼をたくさんたくさん、傷付けた。協力してくれていたのにどうして、と思わないこともなかったが、理屈で恋に落ちることが出来ないことは自分がよく知っていた。自分に見向きもしてくれない相手を好きになることが、どれだけ辛いかも、よく、わかっている。

「どうした?岩泉行っちまうぞ」

その場から動き出さないに、花巻は怪訝な目を向ける。さっきまで、行くなとあれほど目で語っていたのに。花巻はあっという間に友達としての顔に戻ってしまった。

「ごめん、花巻。足が痛くなっちゃった。だから、急げないから……今日はもういいや」
「え、まじで?気付かなかった!大丈夫か?」
「大丈夫だよ。だからさ、花火見よう?」

そして、花巻が友達としての顔に戻る間に、の決意もすっかり萎んでしまった。普段と違う鼻緒のついた下駄は歩きにくくはあったけれど、歩けないほど足が痛くなってはいない。痛いのは、足じゃない。自分がフラれて傷付くのは構わない。でも、彼が傷付いた顔をする方が、ずっとずっと胸が痛い。足が痛いと言うを気遣ってか、花巻は人混みから少し外れた場所に連れて行ってくれた。膝の高さ程の石垣に、二人で腰掛ける。

「せっかく可愛い浴衣着たのに、岩泉に見せなくてよかったのかよ」
「うん、いいの」

この浴衣を買ったときのことを思い出す。白地にピンクの朝顔の浴衣を可愛いと思った。それを手に取って、最初に考えたことは、花巻はこういう浴衣を着てる女の子が好きそう、だった。あまり話したことのない岩泉の好みはわからないが、いつも一緒にいる花巻の好みならなんとなくわかる。だから、売り場のおばさんに勧められるまま、その浴衣を買った。たとえ岩泉が偶然会ったよく知らない自分の浴衣を可愛いと思ってくれなくても、花巻は可愛いと言ってくれるだろう。そうしたら多分、この浴衣も、それを身につけた自分も、少しは救われる。望みのないこの恋をずっと大事に持ち続けていられたのも、いつも傍に落ち込んだ自分を掬い上げてくれる存在がいたからだ。隣で、可愛いのにもったいない、とブツブツ言いながらも機嫌が良さそうにしている花巻の姿に口許が緩む。美しく打ち上がっては消えていく花火のように、この胸にある岩泉への想いは口に出さなくてもきっと自然と消えていくだろう。そう確信できる。だって今、失ってしまいたくないのは、どう考えても隣に座る彼だから。

来年の夏祭り。もし一緒に来ることが出来たなら、この浴衣は花巻が好きそうだと思って選んだのだと教えてあげよう。彼はどんな顔をするだろうか。そのときのことを考えて、は密やかに笑みを浮かべた。





(2016/8/30)