青空と星空の境界線




二口は久しぶりに、自分ではない体温を後ろに感じながら自転車のペダルを漕いでいた。彼女が青い自転車を置いていって、ちょうど半年ほど。ようやく季節は少しだけ秋らしくなってきている。大学の夏休みの後半、もちろん二口自身は夏休みもとっくに終わっていて、もうすぐ春高の予選が始まる。伊達工バレー部始まって以来の、三年が残る春高予選だ。そんな大事な時期に、彼女が『星を見に行こうよ』なんてメールを送ってきた。部活のオフの前日なのは、わかっていて狙ってきたに違いない。流石は元マネージャー。情報元は鎌先あたりだろうか。あの先輩は卒業したというのに、未だに暇さえあれば部活に顔を出している。大学の夏休みが終われば、彼女はまたしばらく地元には戻って来ない。二口はすぐに、いいですよ、と返信していた。これじゃ、会いたくてたまらないみたいじゃないか、とは思うけれど。遠距離で、二口は部活に忙しく、彼女も大学生活にアルバイトにと忙しい日々を送っている。会える時間は限られたもの。実際、会いたくてたまらなくない、わけじゃない。

「二口〜、こんなスピードで間に合う?」
「いや〜、俺一人だったらもっとスピード出るんですけどね。先輩が太ったんじゃないスか?」
「そ!れ!は!女の子には禁句でしょうが〜!」
「うわっ!!揺らすのはナシ!!」

スイマセン、と大して心のこもってない謝罪をすれば、気をつけなさいよ、と大して気にしてもいないだろう声が飛んでくる。彼女は不安定に揺れる自転車に楽しそうに笑って、二口の背中にしっかりと身体を預けている。心臓の音って、背中側からでもわかるんだっけ?そんなことを考える。素直な性格じゃないことなんて自覚しているが、口に比べれば心臓は随分と正直だ。

「二口の心臓の音めっちゃ聞こえる」
「そりゃ、俺もうずっと自転車漕いでますからね。後ろに重し乗っけて」
「ま〜たそういうことを」
「ちょ、先輩!揺らすのナシだって!」
「反省がな〜い!」
「アンタもな!!」

バランスを立て直しながら、やっぱり聞こえてたか、と舌打ちしたい気持ちになった。こっちばかり会いたくてたまらないみたいで、こっちばかりドキドキさせられているみたいで、悔しくなる。そんな気持ちを誤魔化すように、ペダルを漕ぐ脚に力を入れた。夜の町を抜けて、田んぼ道を走る。田んぼだらけで街灯もろくになく、電信柱のないひらけた場所で、二口は自転車を止めた。彼女がひらりと地面に下りて、二口の隣に並び空を見上げる。満天の星、と言うのに相応しい景色だった。

「すっげぇ、星」
「うん。東京では見られないね」
「そうでしょうね」

高いビルに囲まれた明るい都会じゃ、これほどたくさんの星は見えないだろう。何億光年も向こうから届く星の光。何億年もかけて光が届くなんて、あまり現実味がない話だ。彼女と共に空を見上げていると、不意に隣から声がかかった。二口の服の裾が、キュッと引っ張られる。

「もしもさ、今夜で世界が終わるとしたら、二口はどうする?」
「は?それ、何て言って欲しいんスか」
「ロマンチックな景色の中でロマンチックな台詞が欲しいなって」
先輩ってめんどくせ〜」
「いいでしょ!女の子は大体そんなもんだって!」

本当に面倒くさい。そういえば彼女はジブリが好きだったっけ。二口にとっては男のクサイ台詞なんて鳥肌モノでなかなか直視できなかったけれど。彼女が好きだと言っていたから、地上波で放送する日にはテレビの前を陣取っていた。母親が物珍しそうな目で二口を見ていたことを思い出す。おかげで、彼女の好きそうなロマンチックなんか、手に取るようにわかるのだ。普段できるかどうかは別として。

「こうする」
「わ」

誰もいない。誰の目もない。街灯もないし、星の光しか見えない。そんな場所なら、多少の恥ずかしさは我慢することができた。彼女の腕を掴んで引き寄せて、二口の腕の中に閉じ込める。ぎゅう、とほんの少し力を込めて、彼女の肩口に顔を埋めた。女子の使う、甘ったるいシャンプーの匂いがする。

「明日もその先もアンタのことが好きです」
「うっわ〜殺し文句〜!二口そんなロマンチックなこと言えたの?」
「うっせ、黙って殺されてろよ」

耳元に唇を寄せて精一杯吐いた殺し文句では、彼女を仕留めることはできなかったらしい。こっちは自分の口から出た、シャンプーみたいな甘ったるい台詞に鳥肌が立っているというのに。彼女はいつもの呑気な声で、二口は彼女を抱き締めたままがっくりと項垂れた。けれど、彼女の背中に回した腕に、心臓が早鐘を打っているのが伝わる。こっそりと彼女の表情を盗み見れば、動揺を隠し切れていないのが丸わかりだった。なんだ。

先輩、心臓の音やばいっスよ」
「二口もね」
「アンタってかなり、俺のこと好きでしょ」
「……そうだね」

なんだ、彼女だって、全然人のこと言えないくらい素直じゃない。素直じゃないし、多分会いたくてたまらないのも二口だけじゃないし、きっとドキドキさせられているのもお互い様だ。堪え切れない笑いが口から漏れると、照れ隠しなのか彼女が小さく二口の背を叩いた。帰りましょうか、と二口が呟くように言うと、頷くのがわかった。

「帰りたくない、とか可愛いこと言えないんスか」

自転車に乗り込みながら唇を尖らせれば、彼女はしっかりと首を横に振る。

「言えないね。明日朝一の新幹線だし健康優良児だからもう眠い」
「素直じゃね〜!」
「うっ、でも二口に言われるのは納得いかない!」
「わ!だから揺らすのナシだって言ったろ!」

こうやって二口が咎めても、絶対に反省しないのだろう。

「春高予選、頑張って。それと、今度会うときは帰らないから!」

顔が見えないのをいいことに、彼女はそんな爆弾を落としたりする。全く、自転車の安全運転にどれだけ気を払っても足りやしない。動揺でバランス崩れて倒れたって、文句言わないでくださいよ。そう言ってやりたい気持ちを抑えて、行きとは逆の田んぼ道をスカイブルーの自転車でひた走る。頭上にはまだ、満天の星が輝いている。





(2018/7/25)