無敵のダークヒーロー




他人と協調することが苦手だ。別に他人の気持ちに鈍いわけじゃない。むしろ感情を察知するのは得意な方だ。だからこそ対戦相手の行動パターンもわかるし、悔しがる相手の表情には快感を覚える。ただ、ときに非合理的であれと望まれる部活動は苦手だった。自分一人でボールは止められる。その方が楽しい。なのに何故、それを手放さなければならない。天童は手の中のボールをくるりと回す。中学時代、チームメイトからも疎ましく思われているのはわかっていた。顧問も扱いにくいと感じていたことだろう。孤立することには慣れている。悪役で結構。自分が気持ち良いバレーをすることができるなら、それで構わなかった。

だが、高校に入ると、それまでの部活動が嘘みたいに楽しくなった。もちろん練習は厳しいけれど、中学時代のことを考えれば苦にはならない。なにせ、それで勝てるのなら天童が気持ち良いことだけをしていいと、監督から直接言われたのだ。そしてチームメイトたちもそれを許容し、また一つのプレースタイルとして認めてくれた。レギュラーを外された者の中には天童の存在を疎ましいと思う奴らもいただろうが、自分を必要だと言ってくれ、好きなようにプレーさせてくれるだけでも充分だ。居場所は与えられるものではなく自分で勝ち取るもの。ようやく勝ち取った居場所は天童にとっての楽園だった。ネットの向こうからいくら敵意を向けられたって、心はちっとも痛くない。敵を煽って、畏怖を、嫌悪を、敵愾心を宿した視線が天童を射抜く。そうやって睨みつけてくる相手の心を踏みつけて粉々に砕いてやるのだ。そんなことに快感を覚える自分はなかなかに趣味が悪い。わかっているから、この楽園でもコートの上では悪役で構わなかった。

「ね〜、まだ終わらないの?」
「まだって言ってるでしょ。天童疲れてるんだから、早く帰りなよ」
「でもそしたら一人になっちゃうヨ?いいの?ここって幽霊が出るって噂じゃん〜?」
「そんな噂聞いたことないけど?」
「冷たいな〜」

三年連続クラスメイト。さらにバレー部のマネージャー。なんとなく、チームメイトの牛島を彷彿とさせるような表情の乏しさと、誰にでも等しく同じように接するところに好感を持った。バレーでは心を読んで人の嫌がることをするくせに、自分の心は決して見せようとしない妖怪。何を考えているのかわからない。そう言われることはあったが、天童はなかなかに単純明快な性格でもあった。自分を認めて、必要だと言ってくれる相手に対してはよく懐く。特に牛島や彼女のように、竹を割ったような性格の人間は好きだった。そう、人間として。最初は、そうだった。

「ねー、何をそんなに一生懸命書いてんの?」
「天童、ブロック数落ちてるよ」
「……これまさか部員全員分やってるの?」
「まさか。レギュラーだけだよ」

部活が終わって一時間近く経っている。残っているのは、もう彼女と天童の二人だけ。ノートに一生懸命にペンを走らせる彼女の顔を覗き込むと、落ちてきた前髪をサラリと耳にかけながら、彼女はそのノートを天童の眼前に晒した。ブロック数、サーブの成功率、サービスエースの本数、スパイク数、その他様々なことが事細かに書かれたノート。時間がかかっているだけある。これが、白鳥沢の戦略の元になる。個々の能力が段違いに高いのだから、ただ戦ったって、大抵のところには負けはしない。けれど上へ行けばそれだけ勝ち上がるのが難しくなってくる。そういうときのための、データのひとつ。きっと他校のものも同じように纏めているのだろう。彼女の手には立派なペンダコが出来ていた。

「すっご……うわー俺めっちゃブロックしてるネ」
「だから落ちてるんだってば。ほら、この日すごいよ」
「え、俺やばくない?天才」
「うん、天童は才能あると思う」

ああ、こういうところだ。天童は見せてもらったノートを読み込むフリをして顔を隠した。プレースタイルを認めてもらえればそれでいいのに、気持ちのいいバレーをさせてもらえればそれだけでいいのに。ここのチームメイトたちは、皆天童に才能があると言う。性格が悪い、チームプレーに向かないと言われたゲスブロックを、褒めてくれる。素直に、本当にそう思ってくれているからこそのサラリとした声で。そんなだから。それ以上が欲しいと、思ってしまうんじゃないか。

「天童、ノート返して」
「まだ見てるから無理」
「そんな近くちゃ読めないでしょ?ていうか、耳赤いよ」
が急に褒めるからデショ〜」
「ふふ、天童でも、照れることあるんだ」

あ、笑った。彼女が笑うのは珍しい。それこそ、牛島の笑顔と同じくらいレアだ。その表情を見逃しては勿体ないと、天童はノートから顔を上げて、固まった。いつの間に椅子から立ち上がったのか、予想よりも随分と近くに彼女の顔がある。

「ふふふ、天童、幽霊でも見たみたいな顔してる」
「……今日は、よく笑うんだネ」
「天童が面白いからね。とにかく、週末の練習試合ではブロック数落とさないように。天童は白鳥沢の大事なブロックの要なんだからさ」
「ブロックの要って、カッコイイ?」
「うん。エースは牛島だけど、私は天童のプレー、好きだよ」

彼女は笑う。だが、天童は笑い方を忘れてしまったように、彼女の珍しい表情に目を見張るだけだった。あれ、いつもどうやって笑っていたんだっけ。いつも笑顔を貼り付けていたはずなのに。肋骨を叩く心臓の音が煩い。好きだよって、その言葉は。

「プレーだけ?」

二人の間に落ちた声は、他に誰もいない部室に響く。

「って、聞かないの?」

天童が何も言えないでいる間に、彼女は微笑んだまま爆弾を落としていく。

「……聞いてほしいの?」
「うん」

ああ、きっと彼女はわかっている。きつい練習後に、わざわざここに残っている理由も。天童の気持ちも、今どんなに心が乱されているのかも、この煩い心臓の音が、どうして鳴り止まないのかも。全部全部わかっていて、こうして微笑んでいる。彼女は天童を揶揄うためだけにこんなことを言う人間じゃない。他人の気持ちに鈍いつもりはなかったけれど、敵意と違って自分に向けられる好意というのは、案外気付かないものなのかもしれない。天童は合わせた両手で口元を覆う。同じ気持ちだとわかったら、今度はにやけるのを止められない。

「週末、めっちゃブロック決めるからサ」

こんなこと、誰でも等しく接する彼女にお願いしてはいけないのかもしれないけれど。少しくらい、皆と違うご褒美があったっていいだろう。

「俺のコト、イチバン応援してくれる?」

ネットの向こうからいくら敵意を向けられたって、心はちっとも痛くない。敵を煽って、畏怖を、嫌悪を、敵愾心を宿した視線が天童を射抜いたって、気にもならない。ついでに彼女にイチバン応援されて、ネットのこちら側から嫉妬の眼差しに貫かれたっていい。この楽園でもコートの上では悪役で構わない。彼女にとってだけの、ヒーローであればそれでいい。やっと絞り出したささやかなお願いに、彼女は笑って頷いた。





(2016/12/5)