瞼の裏側できらめく




 幼い頃からバレーボールをやっていた。ボールに触れているのが日常だった。それなりの中学で、それなりに部活動に精を出して、高校は強豪と呼ばれるチームに進学した。体格には恵まれなかったが、その分ジャンプ力には自信があった。レシーブも誰にも負けない。高校でもきっと活躍してみせる。

 バレーは、体格が物を言うスポーツだ。

 心のどこかでわかっていたはずだった。中学でも、自分よりずっと大きな選手たちに阻まれてきたのだ。点ももぎ取ったが、多分、それよりずっと多く点を取られた。だが練習の手は抜かなかった。自主練も怠らなかった。恵まれた体格をしていても、練習をサボるような人間にレギュラーは務まらない。
 けれど、強豪校に入ってみれば、周りにいるのは恵まれた体格、有り余るほどの才能を持ちながら、血反吐を吐くほど練習するような奴らばかりだった。どんなに走ろうと、追いつかれる。どんなに跳ぼうと、その上をいかれる。そこにいるのが、ただ大きいだけの奴なら、どんなによかっただろうか。どんなに練習しても、生まれ持った体格の差は埋まらない。その才能は、どんなに努力しても手に入れることができない。見上げるだけの忌々しさを知っている。見上げるだけしかできない悔しさを知っている。見上げた先の、強烈に輝く眩しさも――よく、知っている。

 俺は小さくても戦える術が欲しいのか。

 自分の胸に問う。
 違う。そうだ、違うのだ。忌々しい、妬ましい、悔しい。だが、それでも。この身体で張り合うのではなく。

 俺も、全てねじ伏せる、シンプルな強さが欲しい。

 あの力が欲しい。大きく、高く、力強い。全てにおいて自分の上をいく力。それが欲しい。手に入らないものだとわかっているからこそ、憧れはより一層強く心に刻まれた。
 それは今も変わらない。自分では手に入れられないものだから、指導者としてバレーに関わる道を選んだ。まだだ。まだ終われない。シンプルなパワーで全てをねじ伏せる。それが一番強い。それを証明する。何故か。

 何故か?

 小さな烏が、飛んだ。スピードと跳躍力、最後までコートを縦横無尽に動き回れるスタミナ、そして貪欲なまでにボールに食らいつく精神力。技術はまだまだ、レシーブも大して使い物にならない。そんな奴が。コートの中で持たざる者が、強者と戦うことを諦めようとしない。
 身体が震える。肌が粟立つ。目が離せない。何故か、など、わかりきっている。

 否定したい。

 大きいものが勝つ。それがバレーの常識だ。自然の摂理だ。体格に恵まれたものが、そのパワーで全てねじ伏せる。それに憧れた。それが欲しかった。だから否定したい。烏野十番はかつての自分だ。コートの中の、持たざる者。それが、憧れ、欲した、シンプルな強さを超えるところなど、見たくはない。自分にないものに憧れた。それは手に入れることができないものだから、自分で戦うことを諦めた。
 けれど、もし。もし、あのとき、諦めていなかったら。考えてしまう。ずっと、自分の判断は正しいと信じてきた。大きくて強い者が勝つ。リベロといった、小さくても戦えるポジションが生まれはしたが、それでもエースとして戦うのは、点をもぎ取るのは、体格に恵まれた強者だけだ。
 信じてきた信念が揺らぐ。そんなことが、あってはならない。

 否定したい。この四十年をかけて、あの十番を否定したい。否定しなければならない。高さとパワーこそが全て。それこそが強さだと。そう信じたかった。烏野十番を否定できなければ、それはすなわち、かつての自分を否定することになる。

 だが。

 それでも、目が小さな烏を追う。その姿に、かつての自分を重ねてしまう。小さくても戦える。小さくても、高くて大きくて強い奴らから、点をもぎ取れる。忌々しく妬ましく、だからこそ強烈に憧れた“強さ”を、かつて否定した己自身が切り裂き、打ち破る。
 そんなもの望んでいない。望んでいないはずだ。なのに、何故だ。何故こんなにも、胸が熱くなる。

 バレーボールは“高さ”の球技。大きい者が強いことは明確な事実。そのバレーボールで、身長の低さを足枷だと思わなかったのか。高さに憧れただろう。その強さを欲しただろう。持たざる者にとって、牛島のような存在はどう足掻いても敵わない強烈な光だ。それでもなお、自らの武器で戦うことを諦めないのか。
 確かに、個々で見た能力は、牛島と比べれば霞む。小さな光だ。ほんの小さな、鈍い光。だが、それがナイフの切っ先のように煌めいて、気付いたときには喉を掻き切られている。高さに対する圧倒的な“飢え”。持たないからこそ、体格の代わりに与えられたその“飢え”が、コート上の全てを貪り尽くす強さに変わるのだ。ボールの落ちたコートを見つめる。自ら鍛え抜いた選手たちが蹲り、床に拳を叩きつける。相手コートには、小さな烏が立っている。疎ましく、厭わしく、だからこそ――眩しい。

 何故諦めた、何故戦わなかった、何故、どうして。

 無自覚に、お構いなしに、彼はその問いを突きつける。烏野十番は何も考えていない。自分が戦って、チームが勝つことしか。けれど、その全身で問いかける。

 勝ちたいことに理由があるか。負けたくないことに理由がいるか。身長がないことは不利だ。だから諦めるのか。

 その足枷を、あの男は見ることもしない。小さいからなんだ。その足に絡みつく枷を、まるで嘲笑うように、飛ぶ。眩しく煌めいて、忌々しいくらいに、目に焼きつく。

 不利であることに変わりはない。上を目指せば目指すだけ、決して有利にはなり得ない。茨の道だ。だが、彼はそこで足を止めることはないだろう。足に棘が刺さろうと、蔦が足を搦め捕ろうと、前を見据え、歯を食いしばり、進んでしまうだろう。一歩前へと。そして、自分の足元など目もくれず、彼は進んだ先の景色を見て、笑うのだろう。
 その険しい道を、選んでいたらどうなっていただろうか。この足は血に塗れ、皮膚が裂け、肉が抉れても、もしかしたら。その先で、自分は笑っていたのかもしれない。わからない。選ばなかった道の先など、誰にもわからないのだ。烏野十番。彼の未来もまた同じく。どの道を選ぶのか、その先でどうなるのか。誰にも、彼自身にもわからないだろう。その先に、興味がないとは言い切れないが。

「ミーティングは戻ってから。表彰式が終わったら、バス乗れ。……と、あとで百本サーブ」

 一先ずは、大人としての、自らの責務を果たすとしよう。
 自分を諦めたつもりだった。だがきっと、諦め切れていなかったからこそ、まだこうしてバレーにしがみついている。決まった未来などない。可能性は無限大だ。そんな言葉は詭弁に過ぎないと思っていたけれど。彼らがこの先どうなるのか、どうするのか、どういう道に進むのか。それすらもまだわからない。決まった未来などないのなら、せめて悔いなきように進むしかないのだ。

 閉じた瞼の裏側で、小さな烏が羽ばたいた。





(2017/10/16)