跪かれるための才能




多分、光を見た。

彼を見た人は、誰だってそう思うだろう。身体の全てが、感情の全てで。全部の気持ちを余すことなく、その肉体から放っている。嬉しい、楽しい。プラスの感情も全部伝わる。悔しい、負けたくない、どうすればいい。マイナスの感情は全部、プラスに変わっていく。

木兎光太郎は、光だった。

中学の頃はバレーボール部だった。そこそこのバレー部で、そこそこに頑張って、最後の大会も試合日程の中盤より少し早いくらいで姿を消す。バレー自体に熱意があった訳じゃなくて、部員同士の仲が良かったから頑張っただけ。才能なんて考えることもなくて、ただ三年間頑張った自分たちを褒め称えた。中学で頑張ったから高校ではバレー以外のことしたいな、なんて言いながら笑い合えるくらい、バレーのことは何とも思っていなかった。
そうして笑い合いながら、男子の試合も見に行こうよ、と誘われて行った隣の体育館。そこで、木兎は飛んでいた。中学三年生だ。未完成の十五歳。まだまだこれから成長していく伸びしろを、これでもかというくらいに見せつけながら、木兎は輝いていた。ブロックに止められても、レシーブが上手くいかなくても、サーブがアウトになっても。ひとつひとつのプレーはまだ荒削りでも、木兎は楽しそうだった。バレーボールを楽しんでいた。そうやって誰よりもずっと光っていた。あのときから、この目は木兎ばかりを追ってしまう。

志望校を変えた。マンモス校の梟谷に入ったって、木兎と知り合える保証があるわけじゃないのに。それでも何も行動しないなんて出来なかった。入ってすぐにマネージャーに志願した。下心がないとは言えないけれど、木兎のバレーを一番近くで見ることができるのはそこだと思ったから。一生懸命マネージャーの仕事を果たして、木兎とはチームメイトの距離を保って、部室の鍵は、最後に締める。それを三年間、淡々とこなし続ける。

「つらくないですか」

赤葦がそう言ったのは、もう春高の近い、寒い日だった。外は寒いのに汗だくで、白い息が部室の中に溶けていく。時計を見れば、いつも自主練を終えるくらいの時間だ。木兎の響く声も、今は聞こえない。赤葦とこうして二人きりで話すことは珍しいから、訳もなく緊張してしまう。

「赤葦、どしたの」
「木兎さん、トイレ行っちゃったんで」
「あー、じゃあ、もう終わるだろうね。締める準備しよっか。それで、なんて?」
「……つらくないですかって、言いました」

聞き間違いかと思ったけれど、やはりそうではないらしい。つらくないですか、なんて。片想いの女の子に気軽にぶつけていい質問じゃない。けれど、そんな胸の内を赤葦相手に晒すわけにもいかない。口が軽いとは思っていないが、木兎に一番近いのはセッターである彼なのだ。

「夜遅くなるから?別にどってことないよ。部室で宿題とかしちゃうし」
「そうですか」

誤魔化すために笑ってみせても、赤葦はいつもの淡々とした表情で言葉を重ねるだけだった。どうやら、納得してはくれないようだ。仕方ない。息を吐いて、声のトーンを落とす。

「つらくないよ。だって今は憧れてた木兎のプレーを近くで見られるんだから。赤葦には負けちゃうけど」
「俺は、さんは仲間だと思ってました」
「あはは、ありがと」
「でも違った」

赤葦はタオルで汗を拭いながら、ここではないどこか遠くを見るように目を細める。

「憧れと恋は、別物ですよ」

木兎光太郎は、光だった。彼を一目見た瞬間、その輝きに目を奪われた。あれからずっと、この目は木兎ばかりを追ってしまう。最初はただの憧れだったのかもしれない。それがいつの間にか違う感情に変化していることを、赤葦に指摘されずとも自分で気が付いていた。気付かないフリを、していたかった。
どんなときにも明るくて、人一倍負けん気が強くて、どんな強敵に阻まれても諦めない。気分にムラがあるけれど、いつだってチームの軸は木兎だ。圧倒的なエースの素質。そして、彼はいつだって眩しい笑顔を振りまいて、優しくて、憧れが恋に変わるのに、そんなに時間はかからなかった。赤葦が入部してくるより前から、きっと。好きでも嫌いでもなかったバレーが大好きになった。それよりずっと、木兎のことを大好きになった。

「おっ、赤葦ー!今日もう終わり!?」
「終わりです。時間が時間ですから」

木兎が帰ってくると、体育館にポツリポツリと落ちた静かな会話は、跡形もなく消え去ってしまうくらいの騒々しさが戻ってくる。赤葦も先程の言葉なんてなかったかのように、素知らぬ顔で木兎の方を振り向いた。

「そうだな、に悪いしな!もう暗いし駅まで送ってく!」
「え、あ、うん」
「じゃあ俺、チャリなんで」
「赤葦お疲れー!」

赤葦が帰って、部室に鍵をかけて、木兎と二人で職員室に鍵を返す。それから駅までの道も、なんだかいつもより輝いて見えた。恋って、単純だ。

「赤葦さ、真面目なんだか変人なんだかわかんないよね。木兎の居残り練にあそこまで付き合って、しんどそうなのに嬉しそうなの」
「赤葦は良いやつだからなー」
「ほんとだよ、木兎も大事にしないと」

赤葦の気持ちはわかる。木兎はスターだ。他の誰が笑っても、首を傾げても、赤葦は入部した頃からそう信じている。その気持ちは、よくわかる。彼も木兎の光に魅せられたのだ。木兎はこちらを向いて、いつもの眩しい笑顔を見せる。

も、付き合ってくれるじゃん。だからも大事にしないとなーって思ってたとこ。いつもありがとな!」

きゅう、と胸が締め付けられる。どんなに否定しようとしたって、どんなに気付かないフリをしようとしたって。これは憧れではなく、恋なのだ。何よりも自分の心臓が、一番それをわかっている。居残りなんて苦じゃない。こうして木兎が送ってくれることもある。むしろ役得だ。そんなふうに下心満載なことを彼が知ったら、どう思うだろう。そう考えると、告白をすることさえ、恐ろしくなる。

「たとえば木兎が上手くいくかわかんない相手に片想いしたらさ、どうする?」

つい、そんな言葉が口から零れた。慌てて口を覆ってももう遅い。木兎は丸い目を見開いて、こちらを見ている。

「え、告白する!なんで?」
「だって、上手くいくかわかんないんだよ?それなのに告白するの?振られたら、嫌じゃん」
「でもさ、限界まで努力しないで諦める方が嫌じゃね?」

心底不思議そうな顔をする木兎は、本当に上手くいくかわからないから告白しない、という選択肢を取る意味がわからないのだろう。木兎らしい。バレーも恋も、向き合い方は変わらない。努力したって報われるわけじゃない。バレーだって、おんなじだ。一番努力したところが優勝するとか、そんなふうに決まってるわけじゃない。一番強いところが、優勝するのだ。努力も、才能も、経験も、運も、実力も、練習も、試合も、想いも、全部。全部ごちゃまぜにして、一番強いところが、勝つ。勝負は時として非情だ。この三年間の結果が、たった数時間で決まってしまうこともある。
恋も。三年間密かに想い続けたって、報われるとは限らない。たった一言で、この関係性が終わってしまうかもしれないのだ。限界まで努力しないで、諦めるのも嫌だけれど、それよりも。この隣を、手放すことの方が、今は辛い。
木兎は上を向いて、息を吐き出す。蛍光灯に照らされて、白く染まった息がふわっと上にのぼって、すぐに消えた。

「それ、この前赤葦にも聞かれたんだけど。俺もさ、たとえ絶対無理でも、絶対諦めたくねーの。好きになったのとか、初めてだから。赤葦に初恋は上手くいかないもんですよとか言われたけど、俺は諦めねー!」
「木兎、好きな人、できたの?」

上に向かって吐き出された彼の言葉は、すぐには処理できないくらい、衝撃的な内容だった。木兎に、好きな人。彼はずっと、告白されても断ってきていた。バレーの方が今は大事だから、と。好きとかあんまりよくわかんねーんだよな、と言っていたのは、去年のバレンタインだったか。痛む胸を隠して笑いながら、そうだよね、と義理に偽装したチョコを手渡して。ずるいよね、とホワイトデーに貰った飴玉を転がしながら思った。
勇気を出して玉砕した女の子たちは、自分と何ひとつ変わらないのに。むしろ、彼女たちの方がずっと、頑張っていたのに。何も言葉にしないでいる方が、ずっと傍にいられるなんて、ずるい。けれどもし、木兎に好きな人ができたら、何も言葉にしないままでも、この場所を失ってしまうかもしれない。三年間、何度も考えないようにして、木兎にそんな人が出来ないことを、密かに喜んでいた。だからきっと、バチが当たった。

「うん!いっつも俺のバレーしてるとこ、一番きらきらした目で見てくれてんの!」

木兎はいつも以上にきらきらした満面の笑みで、こちらを見下ろしている。ああ、本当に、好きな人が出来たんだ。いつも応援に来ている女の子たちの顔を思い浮かべる。木兎と同じクラスのあの子だろうか。それとも、木兎のことを熱心に見つめている一年生の女の子。それとも。そうやっていろんな顔を思い浮かべている間にも、木兎は上機嫌でニコニコ笑っている。流石にそんな表情を見せられて、いつもみたいな笑顔を取り繕える気がしない。彼の方から目を逸らす。街灯が切れてくれればいいのに。こういうとき、都会の道はどこもかしこも明るくて、嫌になる。

「そうなんだ。木兎なら……絶対、上手くいくと思う」
「ホントか!?ホントだな!?」

引き攣った表情のまま、なんとかいつも通りの声を出そうとしたけれど、それすらも上手くいかない。心にもない言葉。上手くいってほしいなんて、ひとつも思っていないくせに。純粋に喜んでくれる木兎に申し訳なくなってくるくらい、胸の内には真っ黒な感情が渦巻いている。街灯よりも、何よりも。その胸の内を、彼の光に、照らされたくない。けれど、そんな心情はお構いなしに、木兎は至極嬉しそうな顔でこちらの肩を掴む。

「よし、絶対上手くいくんだよな?」
「う、うん」

顔も目も、逸らしようがない。道を通り過ぎる人たちが、冷やかすような視線を向けてくる。そんなもの、木兎の目にはちっとも入っていないみたいだった。大きな彼の瞳には、情けない顔をした自分だけが映っている。

「じゃあ、春高終わったら告白するから覚悟しとけよ!上手くいくって言ったんだからな!返事はイエスしか認めねー!」

がくん、と、膝から力が抜けるような心地がした。いつの間にか駅に着いていて、木兎はそれだけ言うと満足したように手を振りながら去っていく。その背中が見えなくなるまで、この目は彼だけを見つめてしまう。残されたのは、どういうことなのか全然理解出来ないまま上昇する頬の熱と、駅に向かう人々の、先程よりも確かな冷やかしの視線ばかりだった。





(2019/1/5)