酸化する青




炎天下。照りつける日差しの下、体力はじりじりと奪われていく。日焼け止めももう意味をなしていない。絶対に焼けている。憎しみをこめてデッキブラシで力いっぱいプールの底をこすっても、一年の間にこびりついたぬめりは、なかなか落ちてくれなかった。隣では、及川がデッキブラシをかけながら鼻歌を歌っている。腹立たしい。真面目に掃除をするよりも、デッキブラシに体重をかけてもたれている時間の方が長い気がする。余計に腹立たしい。

「……あーもうやってらんない!なんで及川と二人でプール掃除なんか!」
「え、俺と二人っきりでプール掃除だよ!?普通羨ましい〜とか言われるポジションじゃないの!?」
「自意識過剰なナルシストはお呼びじゃないのよ!あーほんと岩泉くんとプール掃除の方が一億倍良かった……日に焼けるし最っ悪……」

それでも及川の言うことは間違いではない。確かに友人たちは及川の言った通りの言葉を贈ってくれた。羨ましい、及川くんと二人っきりなんて。何が羨ましいものか。こんなチャラい男なんて願い下げだ。代わってやれるなら代わってやりたい。何故たった二人でプール掃除をさせられているかと言えば、こうして二人で掃除時間にくだらない口喧嘩をして掃除をサボっていたら、担任に怒られてプール掃除を言いつけられたのだった。他の男子連中だって、いつもは箒と塵取りで野球ごっこなんかしているくせに、こういうときに限って自分たちだけが見つかるというのは余程運が悪いとしか思えない。及川に関わると、いつも碌なことがない。

「まあまあ。今日半日授業だし、もうそろそろ終わるじゃん。ね?」
「それにしたって、二人でする仕事じゃないでしょ、これ」
「ていうか、暑くないの、長袖ジャージ」
「暑いわ!それより焼けたくない……」
「ふーん、お前もそういうの気にしてたんだ」

そりゃあ気にする。去年卒業した同じ委員会の先輩は、色白で優しい女の子が好きだと言っていた。だから美白ケア用品を揃えたし、日焼け止めだってしっかり塗った。先輩の前では優しい女の子になれるように振舞っていたのに。そろそろいい感じだし勇気を出して告白でも、という段になって、及川といつものように喧嘩して更には脛蹴りまで食らわせたところを、よりにもよって先輩に見られてしまった。告白したが、もちろんフラれた。暴力的な女の子はお好みじゃないそうだ。そうでしょうとも。それなのに及川ときたら、その後「フラれたんだ?御愁傷様〜」とふざけた笑顔で言い放ってくれた。思い出し怒りをプラスして黙々と掃除を続けたら、徐々にプールも綺麗になってきていた。あとは水で流せば終わりだ。

「ホース何本あったっけ?」
「四本だから、二本ずつでやる?」
「先に言っとくけど、水かけたら殴るからね」
「……、顔こわい」

当たり前だ。たとえ暑くたってジャージで水浴びするほど馬鹿にはなりきれない。渡されたホースを構える。及川が水を出しに行った。少しすると、ちょろちょろと水が流れ出す。

「ちょっとー全然勢い足りない!もっとガツンと出してよ!」
「あれー?おっかしいなーかなり回したんだけど……ってやば、ホース離して!」
「は?え?!きゃああああなにこれ!!」
「ごめん俺ホース踏んでた!」
「なにこれなにこれちょっと及川止めて!水!止めて!」

ホースからはそれ許容量超えてないの、と聞きたくなるくらい水がすごい勢いで溢れて、暴れて制御がきかない。やっと及川が水の勢いを緩めた頃には、最早手遅れ。完全にジャージの裾から水が滴るくらいには、びしょ濡れになってしまっていた。

「……いやあの、、わざとじゃないんだよ?」
「当たり前だわ!!わざとだったらデッキブラシで殴ってる!!」
「やー水も滴る良い女ダネ」
「及川、歯ァ食いしばって」

本当に、及川に関わると碌なことがない。先輩にはフラれるし、プール掃除させられて日焼けするし、挙句こんなにびしょ濡れになって。なんだってこんな目に遭わなければいけないのだろうか。及川にはバレーの才能があって、顔も好みではないが整っている部類で、モテる。こんな目に遭ったってお釣りがくるくらいには、天に二物も三物も与えられすぎている。一方こちらは損ばかりして、赤字も赤字、心は負債を抱えすぎて倒産寸前だ。神様は本当に不公平だと思う。

、ほら、ジャージこれに着替えな。部活用だからまだ使ってないし」
「うわ……及川のジャージとか……」
「ちょっと失礼!指の先で摘まむのやめて!?」

及川のジャージを受け取って、更衣室で着替えた。ヤツのせいで濡れたのだから、感謝はしなくてもいいだろう。袖を通してみると、ひどくブカブカだった。女子の中でも背が高くて骨格もがっしりしている方だと嫌々ながら自負しているが、それでも及川よりは小さいらしい。袖の長さも、ズボンの丈も、肩幅も余っている。及川も、しっかり男だったのか。

「……なんなの、あいつ。むかつく」

身長が違うとはいえ、これでもかというくらい余っているズボンの裾を引っ張り上げる。更衣室を出る前に鏡を確認すると、不恰好なジャージを着て、しかめっ面した可愛くない女が映っていた。ジャージからふわりと柔軟剤の良い香りが漂う。その優しい香りまで、彼の完璧さと自分の女子力のなさを突きつけてくるようで腹立たしかった。及川は別に掃除を進めるでもなく、ホースで遊んでいる。掃除しろよ。

「あ、、見て見て!」
「なによ」
「ほら虹!二重!」
「……ほんとだ」

及川の指差す先には確かに二重の虹が並んでいる。きらきら。五月の午後三時の光を浴びて輝く空気と、夏が近づいてきたことを思わせる色濃い青空、そして二つの七色は素直に綺麗だと、そう思えた。及川はこちらを見ながら、ひどく怪訝な顔をしている。

「……さぁ、笑った方がいいよ」
「はあ?アンタといるときに笑えることなんてないんですけど?」
「……そうだよね。あの先輩にはオジョーヒンな笑顔で対応してたよね。らしくない」
「はいはい、どうせ私は上品じゃありませんよ。だからフラれたんですー!」
「うん、ザマーミロって思ってた」
「アンタってほんっと性格悪いよね……一発殴ってやりた……」

言葉が詰まった。グーに構えた拳も、途中で力をなくしてしまった。及川が見たことないような真面目な顔を赤く染めながら、こっちを睨んでいるから。

「だってこっちは一年のときからずっと望みない片想いしてんのに、背が高くて優しくて顔が好みってだけの、俺からすれば特にかっこよくもない先輩に取られたんじゃ、胸糞悪い」

望みない片想い。及川でもそんな恋をするのか。一体、誰に。頭の中で矢印が上手く結べない。

「あんなことくらいで勝手に幻滅しちゃってさ、のこと、全然何にもわかってないし。どこが優しいわけ?身長だって、俺の方が高い」

先輩が、今、何の関係があるのだろう。及川は一体、誰に片想いしているというのだろう。

も全っ然!気付いてくんないし。フラれちゃえばいいってずっと思ってた。ザマーミロだ」

もしかして。ある可能性が頭をよぎる。いや、そんな馬鹿な。及川とはいつだって喧嘩越しで、そんな雰囲気になったことなんて一度もなかった。なのに、急に、そんな空気を出されても困る。

「……及川、モテるじゃん」
「でもは俺の顔好みじゃないんでしょ?だったら全然、意味ない」

プールの底に溜まった水が、きらきら光る。好みじゃない、好みじゃ、なかったはずだ。及川なんて、甘いマスクの、そんなチャラいだけの男で、好みなのはもっと硬派で真面目な感じの人だったのに。なんでこんなに、及川の拗ねたような横顔に、心臓がうるさくなっているのか、わからない。暑さのせいだ。真夏日の気温の中、ずっと外にいたからおかしくなってしまったのだ。

「……暑すぎて、アンタが何言ってるかわかんない」
「そのまま暑さで思考回路やられちゃってくんない?」

もう充分にやられてる。

「ねぇ、、何も考えなくていいから、俺と付き合ってよ」

及川から、貸してもらったジャージと同じ匂いがする。柔軟剤の優しい香りと、夏の暑さだけでない、確かな熱を感じなから、思考はゆるやかに停止していった。





(2015/6/4)