僕の世界の果てに私の世界の果てにきっと貴方がいる




僕の世界の果てに





「・・・何してんの?」


体育館に向かう道中。
ベンチに座って、難しい顔をしながら封筒を見ている子がいた。

あまりにも思いつめているし、俺が歩いてくるまでずっと微動だにしなかったから、思わず声をかけてしまった。

ちらりと見た封筒には「及川くんへ」と書かれている。


「頼まれました」
「(頼まれたのか)」
「でも、私はそもそもこの人を知らないんです」
「有名なのに。そこそこ」
「ゆうめい、ですか?」


彼女がそう聞き返して首をかしげる。
その「及川くん」というのは、青葉城西高校バレー部主将で、あの曲った性格とコミュ障なところを除けば普通のイケメンだと伝えると、彼女が頷く。


「なるほど」
「渡しに行くの?」
「頼まれたので」
「そっか」
「ついていけば、会えますか?」


そう聞かれたので「そうだな」と答えると、彼女は立ち上がって俺の後ろについてきた。
あまり笑わない子だ。表情を読み解くのが難しい。怒っているわけでもないし、楽しんでいるわけでも、緊張しているわけでもなさそうだ。


「何年生?」
「2年生です。2年1組」
「後輩か」
「あ・・・先輩は、3年生ですか?」
「そう」
「失礼しました。2年1組のです」
「松川です」
「松川先輩」


覚えました、と機械的に彼女が言う。
そうこうしている間に部室について、ドアを開けると及川を呼んだ。

すると彼女がずずっ、と後ろに下がる。


「どうした?」
「・・・く、くさい・・・」
「え」


顔を歪めてそんなことを言うもんだから、思わず笑ってしまった。
及川が傍に来て「なに?」と事務的に笑う。


「頼まれごとをされて、これを預かってきました。お返事が欲しいそうです」
「ふぅん・・・ありがとう。あとで返事する、って伝えておいてくれるかな?」
「わかりました」


すると彼女は難しそうな顔をしながら俺の方を見た。


「松川先輩、ありがとうございました。くさいので、お暇させてください」
「おー、気をつけてな」
「はい」


さようなら、と会釈をして足早に去っていく。
クサい、と言われたのがショックだったのか金田一が一生懸命ファブリーズしたり国見が窓を開けたりし始めて、思わず笑った。










私の世界の果てに


松川先輩は地味だ。
地味だけど、良い匂いがした。

何の匂いかは分からない。スプレーとかそういうのかもしれない。でも良い匂いだったが故に、部室からした汗の匂いが鼻をつんざくようだったので思わず声に出た。


「(悪い事をしたな)」


職員室からの用事を済ませて歩いていると、前方から松川先輩がやってくる。
私の事を覚えていたのか「」と声をかけてくれた。


「こんにちは」
「お前のおかげで部室が爽やかな匂いになった。ありがとな」
「いえ。その件に関しては、私も口を滑らせました。反省していたところです」
「ああいうのははっきり言ってくれないとな。しかもクサかったのは、及川が置き忘れてた靴下だった」
「う・・・想像しただけでクサいです・・・」
「半泣きで持ち帰ってたよ」
「す、すみません」
「いいや。が言わなきゃ、岩泉がどついてたから。暴力沙汰にならなくてよかった」


松川先輩がそういって笑った。
じゃぁな、とそのまますれ違って、お互いに教室に戻る。

全速力で走った後のように、心臓が脈打っている。


「・・・良い匂いだった」


見上げて話す松川先輩との距離は、嫌じゃない。
話すために見上げなければいけない。松川先輩は私を見ると、必ず声をかけてくれるし、笑ってくれた。

先輩の声がすると、耳が勝手にその声をかき集めて、視線がその姿を探す。

これはたぶん、恋だ。

私は松川先輩の事が好きだ。恋愛的なものか、そういうのかどうかはあやふやだけど。


「(もっと話したいな)」


明日も、どこかで会えるだろうか。そんな偶然があったのなら、この思いをいつか伝えたいな。そう、思った。











きっと


知らず知らずのうちにの姿を見つけると声をかけるようになっていた。

は名前を呼ぶと、一度動きを止めて俺の方に目を見張る。
姿を認識すると「おはようございます」「こんにちは」など挨拶から始まって、目を合わせるために俺を見上げるのだ。

その見上げている姿が、ちょっと犬っぽい。何か楽しみを待つかのようなのキラキラした視線が、俺も少し嬉しいのだ。

飲み物を買おうと食堂まで歩いていると、が自販機の前で腕を組んで立っていた。



「・・・!松川先輩、こんにちは」


そうそう、その顔その顔。
近付いていくと、が「あのですね」とかしこまる。


「当たりが出たんです」
「あたり?」
「もう一本おまけ、のやつです」
「あぁ、なるほど。ラッキーじゃん」
「でも、私はもう自分のがあるし、だからといってあげる人もいないし、どうしようかと思ってました」


でも解決です、とが俺を見る。


「松川先輩に一本あげます」
「いいのか?」
「はい。この間のお礼もまだですから。当たったもので申し訳ないですけど」


どうぞ、と言われ、と同じペットボトルの烏龍茶にした。


「同じですか?」
「同じのが飲みたくなった」
「・・・ん?」
「あるだろ?人が食べてるの見ると、同じの食べたくなる、ってやつ」
「ありますね。でも、私まだ飲んでないですよ?」
「似たようなもんだろ」


ありがとな、と声をかけると、はなんと、笑った。


「(!?)」
「なんですか?」
「悪い事言わないから、毎日笑ってくれない?」
「面白くない事と楽しくない事は笑えません」
「じゃぁ、今のは何」
「嬉しくて」


松川先輩が「ありがとう」って言ってくれたのが嬉しくて笑っちゃいました。

がそう言ってまた笑う。俺はがそういって笑ってくれるのがとてつもなく嬉しかった。(表情には出ないけど)
並んで階段を上がると、が言う。


「この間の、及川先輩に手紙を書いた子、断られていました」
「あぁ・・・やっぱり?」
「やっぱり?」
「及川はそういうの多いしさ。今、部活に集中したいだろうし・・・付き合うとかあんまり考えてないみたい」
「そうですか」
「・・・?」


途端に声のトーンが落ちたので不思議に思って呼びかけると、が言う。


「松川先輩も、部活に集中してますか?」
「まぁ、そうだな」
「そうですよね」


では、とそれ以上は何も言わず、が教室に戻っていく。
あのテンションの落ち方は異常だ。俺は何かまずい事を言っただろうか。

途端に不安になって、昼休みにのところに行ったけれど、結局会う事は出来なかった。











貴方がいる


ぼうっとしながら、ベンチに座る。
あちこちから部活のホイッスルの音。掛け声。ボールを打つ音。一生懸命になっている時間だ。

松川先輩と数日前に出会ったこの場所に座って、また私は封筒を持っている。


「・・・」


手紙を書くのは、顔を見て言うのが恥ずかしいからだと、私に手紙を託した友人が教えてくれた。
でも、せっかく声が出て、目が見えて、相手の事を認識できるのだから、思っていることはやはり声にして伝えたい。
声を聞いたその人の顔を見たいし、返事を相手の声で聞きたい。本当に好きなら、そうなのではないだろうか。

私のは、何か違うらしい。友達にも「のそれは何かが違う」と言われた。


「・・・何も違わない。私は、ちゃんと話したいし、話してもらいたい。名前を呼びたいし、呼ばれたい」
「誰の?」


うわごとのように呟いていた言葉に返事が来るとは思わず、体が硬直する。
耳に届いたのは、程よく低い、耳触りのいい音。いつも、私の名前を呼んでくれる音だ。

静かに顔をあげると、座っていた私の目の前には普段見上げているはずの松川先輩がしゃがみこんでいた。


「思いつめた顔して。なんかあったろ」
「・・・思いつめた?してますか、そんな顔」
の声聞けばわかる、そんなの。お前の今日の昼のテンションの下がり方は異様だった」


心配してんだぞ、と松川先輩。
心配されていたのか。お昼から今まで。悪い事をしたな。でも、それだけ私の事を考えてくれていたのは嬉しい。


「何悩んでんの。また及川に?」
「いえ、これは・・・」
「・・・あれ、俺の名前だ」


松川先輩へ、と書き記した淡いグリーンの封筒。
不思議そうに私の顔を見るので、腹をくくって言葉にした。


「これは、松川先輩にです」
「誰からの」
「私からです。でも、中身は何も入ってません」
「ラブレターと見せかけてのジョーク、的な?」
「・・・書こうと思ったんです。でも、書けなかった。なんて文字にしたらいいか分からなかったです」


話したい。
頷いてもらいたい。それがたとえ、求めた答えと違う言葉であったとしても。


「松川先輩ともっとお話がしたいです」


一つ一つ、私の言葉を確かめるように松川先輩が頷く。


「もっと、名前を呼んでほしいです」
「あとは?」
「・・・いえ、それ以上は・・・困らせます、先輩の事」
「困るかどうかは聞いてから決めるから、言って」
「・・・・・・傍にいてほしい、です」
「それから?」
「・・・ぁ・・・・・・松川先輩、これ以上は本当に駄目です、言えません」


私がそういって言葉を濁らせると、松川先輩が小さくため息をついて私の手を握った。


「なぁ、それ、総称するとどういう言葉になると思う?」
「総称すると・・・?」
「この封筒の中に書き記して託すべきだった言葉は」
「・・・」
「困らないから」
「・・・好き、です」
「そうだよな」


でも、と反論しようとすると松川先輩が言う。


「部活に集中したい、って言ったからだろ」
「う・・・」
「気付かないわけないだろ。あの後、俺はそうじゃないけどなー、って言おうとしたら、お前はそうですか、って会話打ち切っちゃうし」
「だ、だって」
「俺はそうじゃないよ」


触れてもらっている私の手が震えている。
緊張、している。今、私が一番望んでいる状況だ。松川先輩と言葉を交わして、意思疎通をしている。

心臓の脈打つ音が耳まで響いていた。


「俺もと話がしたい」
「・・・はい」
「手繋いで帰ったりもしてみたいし」
「へ?」
「休みの日に、会ってみたりもしたい」
「ま、松川先輩」
に、一静、って呼ばれてみたい」


流れるように告げられた要望に、ぐっと胸が苦しくなる。
私の様子を伺っていた松川先輩が静かに口を開いた。


「一静、って呼んでくれる?」
「っ・・・・・・」
が呼んでくれたら、俺も呼ぶ」
「い・・・っ・・・・・・うぅ・・・・・・無理です、恥ずかしいです」
「ほら、早く」


ほらほら、といたずらっ子のような笑みを浮かべて松川先輩が私を急かす。
顔が燃えるように熱い。深く息を吸うと、ぐっと胸に堪えた。


「・・・い、一静・・・?」
「・・・」
「・・・・・・っぐぅ・・・!!」


恥ずかしさのあまり松川先輩の肩に倒れこむと、松川先輩が笑う。
こんなの、少女漫画やドラマの中だけだと思っていたのに、いざ自身の身に降りかかるとかなりの羞恥プレイだ。

肩を押されて体制を元に戻すと、松川先輩が私の頭に手を載せた。


「よくできました」
「・・・っ、どうも・・・ありがとうございます」
「俺も、の事好きだよ」
「っ!?」
「だから明日から、もっと話しような」


この封筒は記念にもらって行くわ、と松川先輩が私の手元から封筒を抜き去って去っていく。
こみ上げてきたのは、恥ずかしさを上回った嬉しさ。緩みそうになる頬を押さえて、足取り軽く、帰路についた。

深く息を吸い込んで空を見上げると、それまでずっと真一文字だった口元に、これまでにない楽しそうな笑顔が浮かんだ。






僕の世界の果てに
私の世界の果てに
きっと貴方がいる





(2016/6/6) 
月と浅葱の氷月さんから1周年記念祝いに頂きました。