アマリリスは何と言った




目は口ほどに物を言う。古今東西、あらゆる場所で使われてきた言葉だ。たとえ無口な人間であっても、その目までが何も言わないことは有り得ない。軽薄な嘘を舌に乗せ、軽やかに笑う裏で、打算をその目の奥に宿している人間もいる。また、それは時として、隠したい想いまでも語ってしまう。しのぶれど色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで。千年以上も前から人は、その想いを隠そうとしても隠し切れずにいるらしい。それは、テニスでは中等部高等部と六年間、最強と謳われる王者立海の頂点に立ち続けている男でも、同様に。
目には様々な情報が含まれている。視線、目の開き方、瞬きの回数、瞳孔の開き具合。口で語らずとも、いつも彼の目が追うものがあるとしたら、それを目に留めた瞬間いつもより柔らかく目元が緩むとしたら、彼は恋をしていると誰かが気付いたっておかしくはない。特に彼のことをよく見ている人間ならば。おそらく、異変に最初に気付いたのは真田だった。

「最近、幸村と話しているときに目が合わなくなることがよくあるのだが」
「ほう?」
「蓮二はないか?」
「俺はないな」

幸村は人と話すときには相手の目を見る。それが礼儀礼節を重んじる真田相手なら尚更、話している途中に目が合わなくなるなんてことはないだろう。普通なら。それを聞いた日から、幸村のことを注視するようになった。すると、真田のクラスへ訪れる回数が多くなっていることに気が付いた。中等部の頃から、もう六年ほどの付き合いだ。テニス部の相談、教科書を借りる、スケジュールの確認。いつもやっていたことから、普段はしていなかったことまで。そこまでわかれば、その目的に辿り着くまでも早かった。真田の言う通り、幸村は話している途中によく視線を泳がせた。視線の先には、いつも一人の女子生徒。目は口ほどに物を言う。あのことわざの意味はこういうことか。そう思ってしまうほどに、幸村の目はたった一瞬でもその想いを雄弁に語っていた。
だから次に異変に気付いたのは、幸村に想いを寄せる女子生徒たちだった。彼女たちも、幸村のことをよく見ている。そうして、彼の目の語る想いに気付いたのだろう。相手が誰かまで気付いた人間はいなかったようだが、幸村が恋をしているらしい、という噂は程なく彼に想いを寄せる立海の女子生徒全体へと広まった。だが、その真偽を彼に直接ぶつけるだけの度胸を持った人間はいなかったらしい。振られることで想いを諦めるという手段を取る者たちが、玉砕を覚悟して告白しては散っていく。そういった光景を見ることが増えた。

「最近、告白してきてくれる女の子が増えた気がする」
「まあ、卒業も近いからな。皆感傷的になっているんだろう。中等部高等部はそのまま進学する者も多かったが、大学部はそうでもない。卒業前に行動を起こさなければ後悔する。そう考えているんじゃないか」
「そうか……そうかもしれないな」

幸村の想い人がそのまま立海の大学部に進まないことは、もう調べがついていた。大学部へと進む柳や幸村には受験勉強などあってないようなものだったが、それでも勉強はしておかなければ、と笑う幸村の手元にある問題集。それが彼女の持っている物と同じことも知っていた。物思いに耽るように、視線を問題集へと落とす彼の口から溜息が漏れる。その恋を本当に隠すつもりがあるのか疑問に思うほど、幸村の想いは彼の目や仕草に表れていた。テニス部のレギュラーは真田を除いて、彼が恋をしていることに気付き始めている。
しかし、幸村が彼女と話しているところを見ることはなかったから、相手が誰かまでは皆わかりかねているようだった。その視線の先を辿るには真田のクラスを覗かなければならないし、真田のクラスを覗けば十中八九説教が飛んでくるような服装をしている仁王や丸井や赤也は、特別用事のない限りそこに近寄らない。幸村の視線の先にまで気付いているのは、柳だけだった。
立海大付属高校はマンモス校だ。同じクラスになれない人間がいることもざらにある。柳の調べでは幸村も、彼女と同じクラスになったことはないはずだった。ならばどこで彼女のことを知ったのか。答えはすぐに出た。屋上庭園。幸村がよく手をかけている花壇の側に、彼女も自分の花壇を持っていた。

「寒いのに精が出るな、
「柳くん?屋上にいるなんて珍しいね」
「精市がいるかと思ってな」

彼女、とは、中等部の頃に同じクラスになったことがある。その時も緑化委員だったはずだ。自己主張が強くなく大人しいタイプで、男子生徒との会話にもあまり加わらない女子グループの中にいた。幸村の名前に、彼女の肩が僅かに揺れた。視線がほんの少しだけ、幸村の花壇の方へと流れる。

「幸村くんは、朝はあんまり来ないよ。まだ登校してないんじゃないかな」
「ああ、そうかもしれないな。そっちは、こんな朝早くに毎日来てるのか」
「うん。朝と放課後の日課になってるから。それにここからなら……」
「ここからなら?」
「あっ、何でもないの」

彼女が笑顔で誤魔化した瞬間の瞳の動きを、柳は見逃さなかった。その場所から校庭を見下ろすと、眼下にはテニスコートが広がっている。なるほど。部活を引退してしまった今では朝練に顔を出すことはほとんどないが、ここからならその様子を伺うことが出来そうだ。幸村は今でもたまに朝や放課後の練習に参加している。目は口ほどに。彼女も幸村と同じタイプであるらしい。

「ところで、何の花を育ててるんだ?」
「あ、これ?これはね、沈丁花だよ」

話の方向を変えたおかげか、彼女はホッとした様子で話し始める。そろそろ花が開くのだというそれは、確かに蕾の色が濃くなっていた。

「精市の花壇にも、同じ花があるように見えるが」
「それは……あの、幸村くんにあげたの。夏に、最後の試合の決勝戦のとき」
「青学に勝った試合か。因縁の決戦だったな」
「そう。その試合の前に、幸村くんが何となく、その、不安そうに見えて……それで、この花の株を、分けてあげたの」

沈丁花の花言葉は『栄光と不滅』なのだと、は言った。常勝を掲げる立海大付属テニス部にぴったりの花だと思い、幸村にそれを分けたらしい。『栄光と不滅』の沈丁花。幸村の花壇には、もう一種類、今にも花開きそうな赤い蕾が揺れていた。

「これは?」
「それはアネモネだって、幸村くんが言ってた」
「そうか」
「……幸村くん、好きな子が出来たの、かな」
「何故そう思う?」

どこか不安げな表情をして、泣きそうな声で発せられた言葉。それはもう、幸村を好きだと言っているようなものだった。

「赤いアネモネの花言葉は『君を愛す』、なの」

花を育てたところで、その花言葉まで瞬時に解する人間はそうはいない。そこまでわかっているのならば、その相手を自分に結びつけたっていいだろうに。柳はそっと息を吐いた。けれどこの場所以外で話すことのない関係であれば、まさか幸村が想いを寄せている相手が自分だとは気付かないものなのかもしれない。幸村はモテる。モテる上にテニス一筋で、今までも告白は全て断ってきている。期待してしまうと、後が辛くなる、とは幸村に振られた女子生徒の談だ。そんな男が、目を引くような美人でもない自分を、とは確かに考えるかもしれない。

「最近、精市に告白する女子生徒が増えたな」
「え……」
「卒業前でもあるし、明日のバレンタインには更に増えるだろうな。大学部に進まない者たちが、最後に告白して諦めをつけようというのが多いらしい」

お前はどうするんだ、と言外に含ませた柳の言葉に、彼女が固まるのがわかった。幸村が恋に落ちた。そしてその相手も幸村を想っている。それならば、友人として上手くいってくれることを願うのは至極当然の流れだろう。彼らが上手くいってくれたなら、幸村を想う女子生徒たちはその恋を諦めるしかない。幸村に長いこと想いを寄せ続けている女子生徒のひとりが、柳の想い人であることなど、彼らは知らないままでいい。自分の胸の奥の奥で渦巻く打算には、決して気付かれないだろう。
バレンタイン当日、真田のクラスを覗きに行ってみると、彼女は目に見えて落ち着きをなくしていた。

「あれ、蓮二。真田に用かい?」
「ああ。精市もか?」
「ああ、うん。ちょっとね」

何かと用事を作っては真田のクラスを訪ねる割に、そこでと話しているところなど見たことがない。少々奥手すぎるのではないかと言いたくなる。自分ならば、好意を抱いた相手に想いが伝わらないような真似は決してしないが、それを言っても仕方ないだろう。彼女の方に視線をやると、幸村が来たことに気付いたのか、頬を赤く染めていた。友人との会話に興じるフリをしながら、こちらを伺っているのがわかる。

「精市、弦一郎、昼休みは屋上に行かないか」
「ああ、いいけど、寒くない?」
「俺は構わないぞ」
「こう寒ければ人も少ないだろう。この前の練習試合のデータについて、いろいろと話したいことがあってな」

この冬の寒さで、屋上に出て行く人間は限られている。幸村が一人になる時間を作れば、も動きやすいだろう。もし彼女がその場で告白できなくとも、二人きりになれば幸村とて流石に何かしらの行動を起こすはずだ。これで万事上手くいく。そう思ったのだが。

「柳くん!」

昼休み、屋上へと向かう階段の踊り場で、彼女の声が柳を呼び止めた。呼び止める相手を間違えているぞ、とそう言ってしまいたくなる。がここにいるということは、真田はもう屋上へ着いているだろう。幸村のクラスは移動教室で、もう少し時間がかかりそうだった。あと少し待っていれば、幸村が来るというのに。彼女は自信のなさそうな、小さな声で柳にチョコレートらしき箱を差し出した。

「これ、あの、柳くんにじゃ、ないんだけど……幸村くんに、渡して、ほしくて」
「ああ、それはいいが」

そこまで言いかけたところで、階段の下に幸村が来ているのが見えた。彼女と柳、そして二人の間にある、綺麗に包装された箱を目に留めて、彼が固まるのがわかった。その目が驚愕とーー嫉妬の色に染まるのを見て、口角が上がる。たとえ勘違いだとしても、彼も少しくらい、そんな感情を味わってもいいだろう。

「悪いが、それには応えられない」

チョコレートの箱を突き返す柳に、彼女が絶望的な顔をする。傍目には、きっとが振られたように映るに違いない。

「自分の想いは自分で伝えるべきだろう。花なんかに託さずに、な。そう思わないか、精市」

声をかけた先で、幸村が大きく目を見開いた。彼女も慌てた様子で後ろを振り返る。柳が屋上へと辿り着く頃、二人は互いの想いが通じ合っていたことを知るだろう。わざわざ二人を焚き付けて、この場で引き合わせた、その労力に見合うだけの結果は得られそうだ。それに巻き込まれて冬の風に吹かれ、屋上のベンチでクシャミを連発する真田には、少しだけ気の毒なことをしたと反省した。





(2018/2/19)