恋する屍




決定的に道が違えたのは中学の頃だった。もしも、なんて言葉は使わない。そういう運命だったとも思わない。神なんて存在しないから、恨むこともない。俺はただ思い出すだけ。

「なんか変な感じじゃな。似合ってないナリ」
「うっせーな仁王!」
「ふむ。せめて今日だけでも髪を染め直すという選択肢はなかったのか?」
「柳の言うとおりだ。たるんどる!」
「お前らもうっせーよ!がこれがいいっつったんだからしょうがねぇだろ!」

たしかに中学の頃と変わらぬ赤い髪に、白いタキシードはあまり似合っているとは言い難い。けれど、皆に言いたい放題言われても頬を緩ませて抗弁する様は、なにを言われても動じない余裕を秘めていた。一歩離れたところで笑っていると、丸井の目が俺を捉えた。丸井は一瞬なにか言いたそうに口を動かしたかけたが、赤也にからかわれて、また会話の輪の中に戻っていく。

「にしても、お前さんとも長いのぅ。幸村とあいつも同じくらいじゃが」
「そうっスね!次は幸村部長……じゃなかった。先輩が結婚っスか!?」
「うーん、どうかな。まだそんな話はしたことないけど」
「女性としてはそろそろ気になる年頃でしょう。幸村君から話してあげてはいかがですか?」
「そうだね、考えてみるよ。じゃあ、俺は彼女迎えに行くから」

話題の矛先が俺に向かってきたところで、適当な理由を付けて部屋を出た。付き合いが長いだけに遠慮ない会話ができる仲間たちは一緒にいて楽しく、大切で、でもときとしてすごく、困る。彼女はの部屋に行っているはずだ。部屋のドアをノックしてみれば、出たのはやはり今日のために一緒に買いに行ったグレーのワンピースに身を包んだ彼女だった。

「精市!ねぇ、見て見て!ちゃんすごく綺麗だから!」
「え?せーちゃん……?」

きらきらした笑顔の彼女に一度笑って、部屋の奥に目をやる。丸井の見立てで選んだというそのドレスはの小さな身体を包み、華奢な肩と背中を綺麗に見せていて、率直に言って、かなりのことをわかっていると思わせられる、品のいいものだった。長く伸ばされた髪はふんわりと結い上げられ、花嫁化粧を施され、最早俺の知るではないくらい美しく変貌していたが、どこかあどけなさを残したように俺を呼ぶ声は、確かに生まれてから今までの長い間、ずっと傍にいた幼馴染の声だった。

「ほんとだ。すごく綺麗だよ、
「ね!そうでしょ!」
「丸井のタキシードも面白かったよ。今皆来てて、からかわれてる」
「ほんとに!?私も見に行こ!またあとでね、精市、ちゃん!」
「うん、またあとで」

彼女が去ったあとでの方に視線を向けると、困ったように笑っていた。

「せーちゃん、私と話したいことがあるの?」

俺が自然に振る舞ったとしても、だけには必ず俺の行動の真意がわかってしまう。いつもそうだった。口にしなくても伝わる言葉、考えているのが一緒だったなんてことも日常的すぎて数え切れないほどあった。一緒にいるときの落ち着く感じや、気安さは家族以上だったかもしれない。

「うん、、今まで、ありがとう」
「?」

これはさすがにわからないんだろうな、と思っていた。戸惑ったように首を傾げる彼女を見るのは久しぶりで、少し笑ってしまう。

「中学のとき、……倒れたとき、の支えがなかったら、きっと立ち上がれなかった」
「そ、んなこと……私、全然なにも、できなかったのに……」
「そんなことないよ」

あの頃の俺には、はそこにいてくれるだけで十分な存在だった。小さな手で、肩で、一生懸命俺を支えて一緒に泣いた夜が、どれほどの支えになったか、はわかっていないのだろう。中学時代に好きな子はいた。その子と今でも付き合ってるし、不満もない。けれど、が丸井と付き合うと聞いたとき、俺には彼女がいたにも関わらず、心にどこかぽっかりと穴が開いたような気分になった。今まで当然のように隣にいた存在がいなくなってしまったからだと思った。登下校も、丸井がを送り迎えするようになり、俺も彼女を送るようにしたから、一緒に過ごす時間もめっきりと減った。それでも俺は俺で幸せだったし、で楽しそうで、ときどき彼女の苦手な勉強を教えながら話す、唯一二人で過ごす時間に、よくお互いの恋人とのことを語り合った。

『それでね、ブンちゃんが張りきってハンカチ用意してきてくれたんだけど、私泣けなくて。逆にブンちゃんが号泣しちゃって、自分のハンカチぐしゃぐしゃにしちゃってたから、私のも貸してあげたの』
『ははっ、丸井らしいね。俺もその映画見に行ったよ。彼女は泣いてたけど、俺も泣けなかったなぁ』
『じゃあ、せーちゃんはハンカチ出してあげられたんだ』
『それがそのときに限って忘れちゃってさ、鞄の中に入ってたの、タオルだけだったんだよね』
『うそー?タオル差し出したの?』
『うん』

は床に突っ伏して笑っていた。の首から垂れた銀色のハートのチャームがコロンと音を立てる。シンプルなそのネックレスは、丸井からのプレゼントだった。二人でいても存在を主張するそれに、胸の奥が少し締め付けられるような感覚がした。だけど、話を始めるとまたその感覚は薄れていって、そんなことをずっと繰り返しながら、中学を卒業し、高校を経て、大学を卒業して2年目の春、が婚約したことを聞いた。

『ブンちゃんとね、婚約したんだ。昨日、プロポーズされてさ、なんか感動して泣いちゃった』
『そうなんだ……えっと、おめでとう』
『ありがとう。せーちゃんには一番に伝えたくて』
『そっか』

昨日電話があって、久しぶりに二人で会うことになった。夜の公園で、ようやく板に付いてきたスーツを着たまま二人でブランコを揺らしながら、は頬を染めて左手の薬指に輝く指輪をひらひらと振った。そのときに浮かんだ感情は、彼女の幸せを喜ぶものでは、決してなかった。それよりも先に溢れてきた感情は、寂寥感と喪失感。は俺の知らない顔で美しく微笑んだ。そして、そのまま流れるように口を動かす。

『私ね、ほんとは中学生まで……ううん、こう言うと、ブンちゃんにすごく悪いんだけど、ブンちゃんはそれでも私が好きって言ってくれたから言うけど、小さい頃からずっと、せーちゃんのことが好きだったの』
『……そう、なんだ』
『でもね、ブンちゃんが隣にいてくれて、笑わせてくれて、今幸せなんだよ。ブンちゃんのことが好き。だけど、自分でも長い間せーちゃんのことを想い過ぎて、区切りがつけられなくなってると思うの』
『………』
『だから、私の恋に、ばいばいしようと思って』

そう言って、にっこり笑ったの目は、うっすらと膜が張っていた。

『せーちゃんがずっとずっと好きだったよ。だから、幸せになってね』
『……ありがとう、

それ以外の言葉を言わせない、告白だと思った。すっきりしたようにブランコを立ったは、一度だけ涙を拭うような素振りを見せると、何事もなかったかのようなふんわりとした笑顔で俺の正面に立つ。

『ばいばい、せーちゃん』

この、胸の痛みはなんなのだろう。そう思っている間に、は背を向け、歩き出した。振り返ることなく、帰っていく。俺の隣の、今もあたたかく俺に挨拶してくれる彼女の父母が待つ家ではなく、ずっと彼女を想って、大切にしてきた彼の待つ家に。隣で、少しだけ揺れるブランコ。彼女が鎖を持っていた部分に触れると、まだじんわりと温かかった。胸が、ひどく痛む。

俺は、きっと、の気持ちを知っていた。(ならなんで、気付かないふりをしていた?)
は俺の、大切な幼馴染だ。(じゃあ、この胸の痛みはなんだ?)
に中学のときに告白されていたら、何か変わっただろうか。(俺は、どう応えた?)
多分、断る。幼馴染として、今までと変わらない付き合いを求める。(それは、何故?)
付き合って、もしも決定的な別れをしてしまったら、元の関係には戻れない。(だから?)

俺は、を失ったら、幼馴染という立場まで失ってしまったら、立ち直れない。

今の俺にとって、はそこにいてくれなくてはならない存在だ。生まれてからこれまで、誰よりも、下手したら家族よりも長い時間を一緒に過ごした幼馴染。その小さな手が支えるのは、もう俺じゃない。彼の選んだドレスを着て、彼のために美しくなったは、彼の隣に並んで歩いて行くのだろう。

「せーちゃん?」
、ほんとに、おめでとう」
「ふふっ、ありがとう」

だからどうか、今だけは気付かないで。控室を出て、彼女を探した。教会の前の庭で、散策している。俺に気付いて手を上げ、そして驚いたように駆け寄ってきた。

「え、ちょ、精市、なんで泣いてんの!?」
「うん、ちょっと、ね……」
「あ、やっぱ、幼馴染が結婚しちゃうのって寂しいよね。大丈夫?ハンカチいる?」
「ううん。大丈夫」

これがだったら、きっと気付いただろう。幼馴染が結婚するから、寂しいわけじゃないんだ。目の前で慌てる彼女が好きじゃなくなったわけじゃない。大丈夫、俺には彼女がいる。そして、丸井と結婚しても、は俺の、大切な幼馴染で。

きっとずっと、たいせつなおんなのこだ。

気付いた感情は、あまりにも、

(もう全てが、遅すぎた)





(2015/5/24)