ぎこちない愛のしるし




あれ、と思ったのが最初だった。幼馴染は色恋沙汰にとんと縁がない。いつでも黄色い声に囲まれている自分とは違って、岩泉の周りにあったのは男友達とバレーと幼馴染である自分だけだったと及川は知っている。その岩泉が高校に入学してから三年間、彼を見つめる女子生徒がいたことにも、及川は早々に気がついていた。花巻と同じクラスらしい彼女は、いつも体育館の入り口より少し離れた場所で、声も出さずに真っ直ぐ岩泉を見ていた。見た目は全然岩泉に相応しいとは思わなかったけれど、突然舞い込んだ幼馴染の色恋沙汰は及川にとって少しだけ面白かった。まあ、肝心の彼が彼女の視線に気付く様子は三年間、これっぽっちもなかったわけだが。彼女も彼女で行動に移すことはなく、及川がもどかしく思っている間に、高校三年目の冬が近付いてきて。あれ、と思ったときには、彼女は花巻の恋人におさまってしまっていた。
部活が終わって、今まではしばらく部室でダベっていた花巻がいそいそと着替え始める。それでピンときて、及川が部室の窓から外を眺めれば、ビンゴ。彼の恋人が、体育館のすぐそばに立っていた。

「ねえねえ岩ちゃん、マッキーの彼女って可愛いよね。ほら見てあの子」
「あ?ああ、そうだな?」

何度か花巻を通して彼女と話したこともあるくせに、岩泉は全く覚えていないようだ。ちらりと花巻の様子を伺うと、人を殺せそうな目で睨まれた。ああ、こっちも本当に面白い。

「岩ちゃんもっとよく見てよ。あの子、喋ったこともあるでしょ」
「あー、そうだった、か?」
「ひどーい!」
「及川」

ぐっと低い声で名前を呼ばれた。彼なりの牽制らしい。そりゃそうだ。三年間。あんなに真剣に岩泉を見ていた彼女だから、どうして花巻と付き合ったのかは及川の知るところではないが、そう簡単に乗り換えたわけではないのだろう。まだまだ、花巻にとっては不安なくらいの関係なわけだ。岩泉はこの部室の微妙な空気にも気付かずに、呑気に気の入っていない返事をしている。その何も考えていない相槌すら花巻の不安を煽っているなんて、知りもしない。花巻は早々に着替えを終えると、お先、とだけ告げて、大きな音を立ててドアを閉めていった。まったくもって、余裕のない。

「及川ってほんと、性格わりーよなー」

部室のベンチに腰掛けていた松川が、重苦しい空気に苦笑する。彼はなんとなく全て察しているらしい。だってこんな面白いこと、知らないふりなんて出来ないではないか。なんのことかわかっていない岩泉は相変わらず、頭に疑問符を抱えていた。

「こいつが性格わりーのはいつものことだろ?てか今そんな話あったか?」
「岩泉はなんていうかほんと……ばかだよな」
「あ"?!」



*****



「あ、花巻、お疲れ様」
「…もう寒ぃんだから、あったかいとこで待ってろって言ったじゃん」
「大丈夫だよ。はい、ホットココア」

彼女の手を温めていたらしいホットココアを受け取る。まだ充分に温かいそれは、買って間もないことを教えてくれた。花巻が甘いものを好きなことも、彼女は友達だった頃からよく知っている。手の中でじんわりと温もりを伝えるその缶に、心の中に渦巻いていたどろどろした感情が溶かされていくのを感じた。ずっとずっと、岩泉が好きだった彼女を、ようやく振り向かせることができたのだ。今更ちょっかいなんてかけて欲しくない。まだまだ、彼女が想っていた三年間に自分が追いついているとは到底思えなかった。

「あ、マッキー、ばいばーい!彼女さんも!」

後ろから聞こえた声に肩が強張った。着替えを終えたらしいバレー部の面子がぞろぞろと入り口へ降りてくる。その中に岩泉の姿を見つける前に、花巻はちいさな手をとって歩き出していた。

「え、ちょっと、花巻、挨拶しなくていいの?」

困惑した声を後ろに聞きながら、それでも歩調も手も緩めることができない。彼女の目に岩泉を入れたくない。岩泉にも、彼女の存在に気付いてほしくない。彼女の恋愛相談に乗っていたときには、岩泉が振り向く可能性は限りなく低いとわかっていたはずなのに。こうして自分の手元に彼女が来てしまうと、周りの感情まで見えなくなってしまった。余裕がない。それは花巻自身でも、嫌というほどわかっている。

「花巻、花巻!いたい、よ」
「っ、わり」

校門を過ぎて、しばらくして。通い慣れた彼女の家のそばの公園に近いところまできて、ようやくその声が耳に届いた。いたい、と言われた手を離そうとして、随分と力が入ってしまっていたことに気付く。血が通わず白くなってしまった指先。困惑した表情の彼女を見て、一気に頭が冷えた。と同時に、恥ずかしすぎて顔が熱くなる。

「わるい、。俺、まじでかっこわりぃ……」

両手で顔を覆う。本当にかっこわるい。男の目から見ても、岩泉は文句なしにかっこよくて、それに勝てる気がしない。岩泉は青城のエースで、プレイも堅実で上手くて、腕相撲だって岩泉には負けっぱなしで。その上、やっと彼女と付き合えたのに思いやる余裕もなくて。いいところなんてひとつもない。穴があったら入りたい。目の前の彼女が溜息を吐くのが聞こえた。呆れられても、仕方がない。

「……私、花巻が好きだよ」

ちいさな声で呟かれた予想外の言葉に、顔を上げる。横を向いてむくれた顔は頬が赤く染まっていた。彼女が、恥ずかしいときの、照れ隠しのクセ。

「そういえば、ちゃんと言ってなかったと、思って」

聞き間違いでは、ないらしい。

「ほんとに?」
「ほんとに」
「まじで?」
「まじで好きだよ」

横を向いたまま、真っ赤な顔で繰り返していた彼女が、こちらを向いた。目が合っただけで、ばかみたいに動揺する。不安で仕方ない、かっこわるい胸の内が見透かされるのではないか。詰め寄られて、近くなった距離。覗き込まれた瞳は、とても真っ直ぐだ。

「私が適当な気持ちで付き合ったりすると、花巻は思うの?」
「思わない、けど……」

こんな俺の、どこが。花巻は思った。岩泉がもしも彼女に振り向いたら、封じ込めた恋心が燻って、そちらに行ってしまうのではないか。見た目以上にずっと真面目な彼女のことだから、そうなったとしても花巻への罪悪感で、こちらに残ってしまうかもしれないけれど。そのときは、幸せになれよ、と背中を押してやる覚悟くらいは決めていたはずだった。なのに、こんなに、渡したくなくなるなんて。決めた覚悟にあっけなく白旗を振る。どう考えたって、彼女の背中を押してやれるわけがない。目を合わせていられなくなって、逸らした。

「……こんな余裕ない俺なんかより、岩泉の方が、かっこいいじゃん」
「ばかだなぁ」

大きく溜息を吐いた彼女の顔を見られない。本当にばかだ。自信をなくして、駄々をこねて。このままでは、愛想を尽かされかねない。なのに、彼女の声は、ひどくやさしかった。

「そういうところが、好きなんじゃん」

このままの自分でいいんだと。彼女が好きで仕方なくて、周りも見えなくなるくらい、かっこ悪くなってしまう自分でいいんだと、言われた気がした。花巻の右手を、ちいさな手が包む。ああ、彼女の手も、左手のココアも、すっかり冷たくなってしまった。

「……花巻。手、繋ごう」
「うん」

冷たい手を、今度はやさしく握り返す。たぶんまた、余裕をなくして彼女を振り回してしまう日もあるとは思うけれど。

「……って、呼んでいい?」
「いいよ。……貴大」

今はまだ、この手を離さずにいたい。





(2015/5/30)