赤葦の憂鬱




さまざまな声が響く体育館。その中でも一際元気な声で空中に飛び出した力強い腕の先へ、ボールを送る。重い音と、チームの歓声。ネットを挟んだ向こうで黒尾が珍しく目の端に悔しさを滲ませた。

「勝者、梟谷学園!」

チームメイトたちからの歓声、労い、そして木兎から降ってくる重量級のハイタッチを受け止めながら、赤葦はベンチへと向かった。いつも通りの慣れた相手との練習試合。だが音駒のレシーブ力は見習うべきところがあるし、セッターもタイプは違うけれど同じ二年生、吸収すべきところはまだまだある。そう思いながら、相手側のベンチを見やって、見慣れない人物がいることに気付く。ジャージ姿でタオルやドリンクを配り、黒尾の背を笑顔でバシバシと叩く女子生徒。

「……音駒、女子マネ入れたんですね」

以前から梟谷グループの中で唯一マネージャーのいなかったのが音駒だ。ドリンクや洗濯や細々とした準備など全て、ベンチに入っていない部員でまかなっているのを見て、大変だなぁとは思っていた。同時にマネージャーの有り難みを感じて感謝したものである。同学年の山本が女子マネが欲しいと愚痴を零していたことも覚えている。それでも今まで頑なにマネージャーなしでやってきていたのに、いきなり。赤葦が口にするまでもなく、梟谷の注目はそちらへと向かっていた。

「臨時でマネージャーやってるらしいよ〜あまりにもマネやってくれる子がいないから頼み込まれたんだってさ」
「へー、黒尾あたりが頼めば結構入りそうなのにな。意外」

試合中に準備したりする際にマネージャー同士でいろいろと話すこともあったのだろう。女子マネの情報収集力は時として侮れない。意外だという木葉の言葉には、赤葦も同意する。黒尾は確かに性格的には少しめんどくさい部分もあるが、男の赤葦から見ても顔は整っている。声をかければ二三人は確実にマネージャーに引き入れられるだろうに。それこそ、臨時なんてピンチヒッター的なものではなく。

「意外ですね、木兎さん」

赤葦は横に立つ木兎に声をかけながら、ふと疑問が頭を通り過ぎた。あれ、と。そういえば、あのマネージャーの話になってから、いやよく考えれば試合が終わってから、一度もあのうるさい声を聞いていない。木兎のストレートが黒尾の横を抜いて決まった試合。木兎が静かでいるなんて、意外なんて言葉では済まない。それこそ天変地異が起こるレベルだ。もしかして、思ったより木兎のストレートに盛り上がらず、ベンチの話題が音駒の臨時マネに奪われてしまったことに機嫌を損ねてしまったのだろうか。赤葦はめんどくさい気持ちを抑え、木兎を振り仰いで。その瞬間に、固まった。まるで敵チームのエースをロックオンしたときのような、梟が獲物を見つけたときのような、明らかな捕食者の目をした男がそこにいた。少しの不安と嫌な予感を抱きながらその視線の先を辿る。

「赤葦、あの子、何て名前なのかな」

ああ、どうしよう。めんどくさい。今度こそ、隠しもせずに赤葦は顔に出した。音駒のベンチ、笑顔で動き回っている臨時の女子マネージャーに、今すぐ逃げてくださいと伝えたい。だが、完全なる猛禽類の目をした木兎を落ち着かせる術も、それから彼女を逃がす術も、赤葦は持ち合わせていないのだった。

「……自分で、聞いてきたらいいじゃないですか」

精一杯のアドバイスは火に油だと赤葦自身も思ったが、後悔してももう遅い。その言葉に、帰り支度を始める音駒ベンチへと飛び出していった木兎を見送りながら、赤葦はフラれた彼をどうやって慰めればよいのか、それを考え始めていた。


*****


どうやら、木兎はあの後名前を聞き、連絡先も交換したらしい。彼らしい積極性だ。赤葦には真似できない。しかしそもそも理解できないのが、赤葦から見てもマネージャーが美人揃いの梟谷にいながら、どうして他校の、言っちゃ悪いが普通の容姿の女の子に惹かれたのかというところだ。彼女は目鼻立ちのつくりが派手な梟谷マネとは違う、かといって一度見ただけで印象に残る烏野マネのような整った美人系でもない。ごくごく、普通の容姿だ。しかも聞けば一目惚れ。そりゃそうだ。あの日絡む機会なんて一度もなかったのだから。

「なんかさー、よくね?」

究極的にバレー馬鹿である木兎とバレー以外の話、それも恋バナをすることになろうとは赤葦も予想していなかった。だがそこはさすが木兎である。なんとなく良い。何巡かした会話で、名前と連絡先となんとなくの好印象、それ以外に赤葦の得た情報は全くない。どうも本当に動物的直感で惹かれたらしい。

「木兎さん、それ、いつかは告白するつもりなんですよね?」
「うん、するよ?あ、てか今しちゃダメかな?」
「ダメです、そんななんとなくで告白して、なんで私?とか聞かれたらどうするつもりなんですか」
「え、なんか良いなーと思って?」
「はい、確実にフラれますよ」
「え、まじか。それは嫌だ!」

なんとなくで告白してなんとなく上手くいくカップルなんていうのは、元々それなりの信頼関係ができているのだ。つい先日出会って、ろくに連絡も取れていない相手に告白して上手くいくなんて、どれほど確率の低い賭けをするつもりなんだろうか。赤葦は痛むこめかみを押さえながら、ひとつひとつ噛み砕いて説明する。今の状態ではナンパに近いこと、ナンパの成功率というのはある一定以上の魅力を備えていても低いこと、基本的に女性はまず信頼できる相手でない限りは告白を受けないこと。それをひとつひとつ説明して、神妙な顔で頷く木兎を見て溜息をひとつ。フラれたら、めんどくさいだろうな。赤葦は試合中にも面倒なことは避ける。しかし赤葦の采配でどうにかできるものならまだしも、恋愛関係に関しては相手の気持ちがなければなんともならない。ならば、できるだけ面倒を回避できるように応援するしかない。

「黒尾さんにでも、探りを入れてみたらどうですか。好きなものとか、好みのタイプとか。それで会話に繋げればいいんですよ」
「おおーなるほど!早速黒尾に連絡してみる!」

一生懸命に綴るLINEを覗き込んで、赤葦はまた頭を抱えた。

ちゃんに惚れちゃったから、好きなものとかタイプとか教えて!』

そのままだ。そのまますぎる。少しは隠すとか濁すとかあればいいのに、この木兎という男はどこまでもまっすぐだ。そのまっすぐさが良いところでもあり、あの一癖も二癖もある黒尾と仲良くできる所以であるとは思うのだが。黒尾が彼女に伝えてしまうとかは思い浮かばないのだろうか。飄々とした黒尾の顔を思い出す。協力してくれれば心強いが、それよりも面白いことに目がない彼が、こんな面白いことに首を突っ込まずに放っておいてくれるだろうか。いや、絶対に放っておかない。必要以上に首を突っ込んでくるに違いない。既読のついたそのLINEに何度目になるかわからない溜息を零しながら、赤葦はただ少しでも上手くいってくれるようにと祈らずにはいられなかった。




(2015/5/26)