黒尾の観察




「名前!なんてーの?」
「えと、です……?」

梟谷ベンチから鉄砲玉のように飛び出してきた木兎が立ち塞がったのは、なんとか拝み倒して頼み込んで臨時マネを引き受けてもらった黒尾の友人の前だった。お、と思う。今まで女子マネのいなかった音駒の、臨時とはいえ初の女子マネ。ごくごく普通の容姿ではあるが、女子マネというその響きだけで山本などは普段以上に気合が入っていたし、音駒全体の士気も上がった。練習試合は音駒の敗退とはいえ、結果は上々だ。ドンマイ、と笑ってバシバシと背中を叩く彼女に顔をしかめて苦痛を訴えながらもありがとな、と声をかけていたところに木兎が現れた。物珍しさからかと思っていた。好奇心旺盛な木兎は、珍しいものには声をかけずにいられない。それは、黒尾とて同じで、だからこそ唯一及第点で満足しているふうな烏野の月島にちょっかいをかけたりしていたわけだが。手の中にあるスマートフォンは、どうやらそれが違ったことを伝えてくれた。

ちゃんに惚れちゃったから、好きなものとかタイプとか教えて!』

おお、直球だねーと黒尾は笑った。一応三年間同じクラスだった彼女が、恋愛ごととは縁遠かったことを知っている。顔立ちは普通、黙っていればわずかに中の上くらいには踏み込めると思うのだが、そもそもが男らしすぎるのだ。男子相手に平気で口喧嘩をするし、なんなら手もちょっと出る。体育祭や行事にも燃えるタイプで、裏表ない付き合いができることはいいのだが、気を抜けば彼女が女子ということを忘れてしまう。男友達のような分類なのだ。だから、男女問わず友人が多くても彼女が妬まれたりすることは一切なく、むしろ女友達には哀れまれたりしていた。そんな彼女に舞い込んだ、恋愛話。しかも相手はバレーが恋人といっても過言ではない木兎。これが面白くないわけがなかった。

ー、お前好きなタイプとかあんの?」
「えー、好きなタイプ?男らしい人かな。なよなよしてない感じ」
「それまんま俺じゃん」
「頭大丈夫?病院送りにしてあげよっか」
「遠慮シマス」
「てか、何突然」
「んや、特に意味はない」

男らしいかー、と呟きつつ、LINEを開く。確かに木兎ならその分類に入るだろう。パワープレイヤーらしい鍛え上げられた身体、積極的な性格、昨今珍しい肉食系男子だ。好きなタイプには合致している。ただしかなりバカな上に黒尾に負けず劣らずのバレー馬鹿でもあるが。好きなタイプは男らしい人、好きなものは焼きそばパンと唐揚げに牛乳、スポーツ観戦と並べていたところで、黒尾の心の中で男かよ、と声が上がる。まあ事実なのだから仕方がない。これで木兎が引くようならそれまでだということだ。送信ボタンを押して、一分もしないうちに既読と返信がきた。

『まじか!それすげぇ俺と一緒!』

全くもって、幸せな性格の男だ。だからこそ一緒にいて楽しいのだが。

「ちょっと黒尾!木兎くんから『焼きそばパンと唐揚げと牛乳、俺も好き』ってメール来たんだけど!あんた何言ったのよ!」

一旦洗濯のため部室から出ていた彼女が勢いをつけて戻ってきた。その口から出た言葉に黒尾はベンチでつんのめる。本人から聞いてもいないのにそのメールは先走りすぎだろう。しかしそれを忠告するには、今目の前の仁王像のような彼女の怒りを宥めなければならないらしい。

「いやー、木兎との会話の流れでお前の話になってポロっと……」
「信じらんない!そういうのなら、もっとなんかメロンパンとかミルクティーとか……可愛いのにしてよ!」
「お前がそんな可愛いの食ってるの見たことないぞ。焼きそばパンと牛乳のが好きだろ?」
「好きだけど!」
「……あれ?あれれ?それともなーに、木兎にかわい子ぶりたい理由でもあるのー?」

面白くなってきて、からかう口調で尋ねてみれば、鳩尾に一発入れられ黒尾は黙した。女子の細腕で小さな拳とはいえ、確実に鳩尾を狙ってきた鋭い一発には呻くほかない。

「まだよく知らない人に猫被って何が悪いんだ?あ?」

笑顔の向こうに見える仁王像が怖い。そんなだから彼氏できないんだぞ、なんて命知らずなことは言えない。

「ワルクナイデス……」
「だよねー?ほんと、他校にまで私の変なこと流すのやめてよね!」
「別に変ではないだろ」

思ったことをそのまま口にすると、彼女は目を瞬いた。木兎だって変だとはこれっぽっちも思っていない。むしろ好みの合致が嬉しかったからこそ、いそいそとメールしてきたのだ。その姿を想像すると、少し笑える。

「いっつも男みたい男みたいって言ってくるやつが何言ってんの?」
「まーまー、男みたいなお前のことも、女の子として見てくれる人もいるんじゃねーの?この世界に一人くらいは」
「確率ひっく!!!」

出会えるかもわかんないじゃん、と憤る彼女の背に、もう出会えてるんじゃね、とは言えなかった。それよりも先にしなければならないことが、黒尾にはある。

『木兎、そのメールは先走りすぎ。もっと遠回しにいけよ』
『遠回し?遠回しってどんなんよ?』
『それは赤葦にでも聞けって』
『あ、でも返事きた!美味しいよねって』
『あ、そう』
『黒尾が他にも何か言ってなかった?ってきたぞ』
『言ってない!!言ってないって言って!!俺の身が危うい!!』
『あ、悪ぃ、男らしい人がタイプって言ってたって言っちゃった』
『木兎ォォォオオオオオオオオ』

再び大きな音を立てて開く部室の扉に、振り向く勇気は残っていない。もう絶対に、直接的には協力してやらないと心に決めた瞬間だった。


*****


それからしばらくの間、彼女と木兎は当たり障りのないやりとりをしているようだった。木兎が他愛もないことを送ってきて、彼女がそれに返すというものだったようだけれど。送ってくることや送る頻度は赤葦検閲がしっかりかかっているようで、変なことは送ってこなかったし、返事も来てないのに立て続けに送られてくるということもない。内容は特に彼女からは言ってこないし、連絡を取っていること自体も話してこないが、それらは全て木兎から筒抜けである。

『赤葦に返事も来てないのに送るなって止められたわ』
『そりゃそうだろ』
『そんなもんなの?わかんねー』
『木兎クンはもうちょっと駆け引きとか覚えようネー。あ、そうだ、ツッキー。あんな感じが女子にはモテるんじゃね?』
『ツッキー?俺は好きだけど』
『ほらツンデレって流行ってんじゃん。今度の合宿で参考にさせてもらえよ』
『今度の合宿って森然じゃん。ちゃん来んの?』
『めんどくさいからやだっつってる。木兎からもお願いしてくんない?聞いてくれるかも』

そもそも練習試合と試合だけは部員をそれだけに集中させたいと思って頼んだ臨時マネージャーだったが、今では普段の部活中もサポートしてくれる。元々帰宅部で暇だったというのもあるのだろうが、受験もある三年のこの時期にマネージャーを引き受けてくれるというだけでも感謝している。それに合宿まで、となるとかなりハードだ。夏休み後半はほとんど潰してしまうことになる。無理強いはできない。いろいろと考えを巡らせつつレシーブ練習に戻り、部活終了後、メールを確認した彼女が顔を上げた。

「黒尾……あのさ、合宿行ってもいいよ」
「え?それマネやってくれるってこと?」
「他に何があんの」
「いやー、何の心境の変化かなと思って」
「別に……ずっと家にいても暇だし!宿題も前半に終わらせちゃったし」
「え、嘘、そういうこと早く教えてよ〜見せてください」
「練習後のアイス三日分で手を打とう」
「ははぁ!様!」
「とりあえずハーゲンな」
「いや、ハーゲンは高ぇだろ!」

いつも通りの軽口を交わしつつ、木兎にGJとスタンプを送る。何て言ったの、と付け加えたのは、好奇心だ。一体何と言って、彼女を合宿に参加する気にさせたのだろうか。

『え、普通に、会いたいから合宿来なよって』
『まじで?お前それほぼ告ってるようなもんじゃね?』
『まじで!?』

いや、まじでと問いたいのはこちらの方である。まあ、それで彼女が合宿参加する気になったのなら、全く脈なしということでもないのだろうが。赤葦あたりならもっと遠回しに匂わせるような上手い誘い文句を考えてくれそうなのだが、木兎の誘いはあまりにストレートだ。いや、今まで恋愛沙汰に巻き込まれることがなかった分、ストレートくらいがむしろいいのか。コンビニの前で少し機嫌よくアイスを頬張る彼女を見ながら考える。ちなみにアイスは問答無用でガリガリ君にした。

「何よ、ジロジロ見て。あ、当たってもあげないからね!」
「いや、俺も二本は入らねーわ」

これは、木兎からのメールではなくアイスで機嫌が良くなっているだけだ。間違いない。木兎のことを実際どう思っているかはわからないが、とりあえず今の段階では『会いたい』なんて甘いセリフもたった60円のアイスに負けていることだけ理解できた。たぶんおそらく、今までの経験上自分が恋愛対象に入っているなんてこれっぽっちも考えていない。また面白い男友達増えたなー、くらいだろう。これは前途多難だなぁ、と思いながらも口角は勝手に上がる。それくらいが、面白いというものだ。





(2015/5/26)