木兎の恋愛




木兎光太郎という男は、どこまでもまっすぐな性格が長所だった。拗ねても不貞腐れてもわかりやすい。幼い頃から感情を存分に表現していたので、手はかかるがいろんな人から可愛がられた。怒られたときには反抗もするが素直に落ち込んで、褒められたときには周囲から見れば大袈裟なくらい喜んだ。昔から運動神経は飛び抜けていて、小学生に上がって休み時間には一通りのスポーツには誘われた。サッカーも野球もドッチボールも、木兎は面白いくらいに活躍したが、バレーだけがなかなか上手くいかない。腕に当たってもまっすぐにボールが上がらないし、オーバーなんて取れたもんじゃなかった。面白くない。バレーの感想はそれに尽きたけれど、他のスポーツは全部上手くいくのに、という思いがあった。練習して練習して、初めてアタックが決まった瞬間、全身の毛が逆立つような興奮が巡る。まだ、ジャンプしてもネットの上に手が届くか届かないかくらいの頃の話だ。上手くいかないことは面白くないが、その先のこの興奮を知っているから、木兎は練習が嫌いではなかった。運動神経はいいけれど練習も人一倍、いつも明るくチームを盛り上げる木兎を慕いこそすれ、嫌う人間はこれまでにいなかった。空気を読むことに長けているわけではないから、疎ましく思うくらいの者はいたのかもしれない。だが基本、木兎は人に好かれるタイプの人間だった。
初めて告白されたのは小学校六年生の頃。同じクラスの女の子だった。木兎は誰とでも分け隔てなく喋っていたので、その子とも、もちろんクラスメイトとしては仲が良かった。好きだ、というその子に、俺も好きだぜ、とにこやかに返して。次の日には付き合っていることになっていた。付き合うって何、どういうこと。木兎は混乱したが、この年代になると男女の付き合いが変わってくることを、なんとなく理解した。友達としては好きだけれど。そう思ったまま流されて付き合って、ある日彼女にキスをされた。子供の、口と口が触れ合うだけの単純なもの。

『何、なんでちゅーしたの?』

次の瞬間、彼女は泣いた。今思えば、ひどいことをしたのだろう。このとき、まっすぐな性格は、長所であり短所ともなる。二人は付き合うことになってはいたけれど、木兎からは何のアクションも起こさなかった。何をしたらいいのかわからなかった、とも言える。それに不安を覚えた彼女からの、精一杯の行動だったのだ。結局二人は中学に上がる前に別れることとなった。
中学に上がって、バレー部で本格的に活動するようになってから、木兎はまた何人かに告白をされた。クラスメイト、後輩、先輩、同じ委員会の子、マネージャー。それぞれ立場は違ったけれど、どの女の子も一生懸命で可愛らしかった。ただ、木兎はそのどれもなんだかしっくりこなかった。また何をしていいかわからなくて、泣かせてしまうかもしれない。それは嫌だ。木兎はどの告白も断った。自分なりに言葉を尽くしたつもりだ。友人らには勿体無い、と散々言われたけれど、バレーがとんでもなく面白かったから、女の子と遊びたいという気持ちなんて全くと言っていいほど湧かなかった。人から注目されることに、悪い気はしなかったが。
そして高校に上がってもそれは同じだった。赤葦というセッターと、黒尾というライバルを得てからは余計にバレーにのめり込んだ。面白い。バレーは、面白い。

『ナイッサー!いけるよー!皆もっと楽しそうな顔してー!』

音駒の臨時マネージャーを初めて見つけたあのとき。梟谷優勢で音駒は追い詰められていた。そんなときにあの声が聞こえてきて、まるでピンチだと感じさせない軽やかな笑顔と言葉に、木兎はこれだ、と思ったのだ。たぶん、彼女は音駒がこのまま負けるなんて万に一つも思っちゃいない。そもそも勝ち負けなんてさして気にしていないのかもしれない。ただ、どうせやるなら楽しくやろう。音駒の山本が、彼女の言葉に士気を上げたのがわかる。黒尾がニヤリと笑う。いつも気だるげな研磨が呆れたように溜息をつくが、その手から繰り出されるのは強気なセットアップ。音駒が息を吹き返した。
今まで告白されても今ひとつピンとこなかった。木兎の中で何かが合わなかったのだろう。だが、このときに急速に彼女に惹かれた。これを動物的直感と赤葦が言うのなら、その直感は間違っていないと、木兎は思う。今まで付き合って何をしていいかわからなかった。だが、彼女とはもっと話したいと思う、笑顔が見たいと思う、手を繋ぎたいしキスもしたい。恋とはきっと、そういうものなんだろう?
だから木兎は今走っている。第二体育館の用具室。そこに彼女がいるから早く行けと、赤葦に言われた。第二体育館の扉の前に、ちょこんと靴が並べて置いてある。そこに、いるのだ。告白をするなら、好印象か確かめてから。赤葦に再三言われたことだ。だから、きっとおそらく、好印象だと思われているということだろう。そう思う。フラれたときのことは考えない。第二体育館に足を踏み入れると、不安げにキョロキョロしながら用具室に入る後ろ姿が見えた。

ちゃん!」
「え?あれ?木兎くん!?」

木兎くんがここにいるって聞いて、と続ける彼女の言葉を押しとどめて、息を整える。走ってきたのと、これから告げる言葉の高揚感で鼓動が速い。緊張した面持ちの彼女は今何を考えているのだろうか。わからないけれど、この抱えた気持ちが同じであればいい。

ちゃん。俺、ちゃんが好きだ!バレーばっかりやってっけど、ちゃんと大事にする。だから俺と付き合ってください!」

付き合うってどこにとか、友達として好きとか、過去に自分が勘違いしたような事態にはならないように言葉を選んだ。ちゃんとひとりの女の子として好きなんだと、恋なんだと、わかってもらえなければこれまでの赤葦と黒尾の協力も無駄になる。彼女から反応はない。そのまま数秒。ちらりと頭を上げると、耳まで真っ赤になって蹲る姿が目に入った。

ちゃん?」
「……ごめん、」

ごめん。その一言が、重く心にのしかかる。今まで、何人かの女の子に告げた断り文句。冒頭はそうだ。いつも、そうだった。同じ気持ちになれなくてごめん、付き合えなくてごめん、気持ちに応えられなくてごめん、好きになれなくて、ごめん。自分が言われてみると、思った以上につらい。蹲ったままの彼女に、いいんだ、と笑おうと思った。いいんだ、ごめん、気にすることない、と。だが、なかなかいつもの表情を作ることができない。顔の変な部分に力が入って、口角が上手くあがらない。ああ、失恋ってつらいんだ。ユニフォームの胸の辺りをぎゅっと握りしめたとき、彼女が再び口を開いた。

「ごめん、なんだか、夢みたいで」

そっちかー!焦ったー!勢いのまま恋敗れたつもりだった木兎の心は一瞬で持ち直した。

「……夢じゃねぇよ?ほら、本物」

彼女の手をとって、自分の心臓の上に当ててみる。たぶんこれが、一番わかりやすい。どんなに言葉を並べたって、誤魔化しがきかないくらい大きく速い心臓の鼓動ほど、この恋をきちんと伝えてくれるものはない。どくんどくん。ちいさくて薄い手のひらが木兎の肋骨の下の熱に触れる。そうして彼女はようやく、真っ赤になった顔を上げた。

「木兎くんのこと、私も好きだよ」

一瞬の間。小さな声が鼓膜を震わせ、脳で意味を理解するまでの、ほんのわずか。その後、脊髄反射的に彼女の身体を抱き上げてぐるぐると回してしまったことには何の悪気もない。木兎は昔から感情の表現が大袈裟なくらい大きかった。

「やったー!!!!」

驚いて目を丸くする彼女が、高く抱え上げられたまま、眼下で満面の笑みを浮かべる木兎を見て笑う。もっと笑って、もっと喋って、もっとたくさん彼女に触れたい。まっすぐに彼女に向かうその感情のまま、木兎はちいさな身体を抱きしめた。



*****



「もー、可愛いのなんのって!なぁ赤葦聞く!?いやダメやっぱ教えない!!」
「はあ、そうですか」

その告白話の続きはもう十回以上聞いている。耳にできたタコが育ちすぎてもう市場に出荷してもいいくらいだ。タコ焼きにでもして食べてしまいたい。お腹空いたなぁ、今日の夕飯はなんだろう。木兎のとどまることを知らない惚気トークを聞き、相槌を打ちながら、赤葦は思考を明後日の方向へ飛ばす。他のメンバーはもうとっくに呆れた笑顔で木兎を赤葦に押し付けて、遠くに避難してしまった。終わらない自主練に付き合わされるのと、終わらない惚気トークに付き合わされるの、どっちがマシなんだろう。どちらからも逃れられない赤葦はそんなことを考え始め、途中で思考を放棄した。

「あ、ちゃんからメールだ!」
「そうですか」
「今週末俺らオフだろ?向こうもオフだからさ、デート行くんだ!」
「そうですか」
「どこがいいと思う?ディズニーもいいけど、ちゃんとならどこでも楽しいと思うんだよなー」
「そうですか」

結局ディズニーに行くことに決まったようだった。また帰ってきたらうるさいんだろう。最近の木兎は試合もすこぶる調子が良い。だから赤葦も、これでよかったのだと納得するしかなかった。多少の惚気なんて、木兎が万が一フラれて落ち込んでそれを修復するまでの時間に比べたら、きっとマシだ。帰り支度をする赤葦の鞄の中で携帯が震えた。

『おー、赤葦、今週末暇だろ?』
「お疲れ様です。断定やめてください」

電話の主はひどく面白そうに笑う。続く言葉が容易く予想できて、赤葦は嫌な予感でいっぱいになる。今週末はおとなしく体を休めようと思っていたが、どうやらそうもいかないらしい。

『ディズニー行こうぜ』
「それは……つけるということですか?」
『面白そうだし、それに付き合って初めてのデートってなにかと心配じゃん?』
「完全に前者が本音ですよね」

まあそれについては否定しない、という彼は、放っておいたら一人でもデートに乱入してしまいそうだ。カップルをつけて一人ディズニーなんてする勇気は、赤葦にはないけれど。

「……わかりました。くれぐれも見つからないようにお願いしますよ」
『おー!まかせとけ!』

一番の心配ごとは片付いたはずだったのに。まだしばらく、赤葦の気は休まりそうにない。





(2015/8/1)