果たされなかった誓いによせて 上




馬鹿だと思った。阿呆なんて言葉じゃ生温い。全く脈のない相手に惚れて、なおかつ一途に好きでいるなんて、馬鹿でしかない。馬鹿だ。本当にどうしようもない。宮家の隣には、同級生の女の子が住んでいる。幼馴染、というには知り合ってからの年数は浅い。小学五年生のとき、彼女の家族が東京から宮家の隣に引っ越してきてから、という微妙な付き合い。それでも女の子の中では、彼女が一番気心の知れた間柄だ。そして彼女ーーは昔からずっと、治のことが好きだった。理由は侑と違って優しいから。それだけ。双子の侑から見ても全く脈はない。現に何度も告白してはフラれている。それなのにずっとずっと、彼女は諦める様子もなく、治のことを想っている。馬鹿だと思った。振り向いてくれること可能性のない相手を好きになったって、報われない。彼女は本当にどうしようもない馬鹿だった。そして、そういった意味では、侑は彼女を笑えなかった。出会った頃から、治の背を追う彼女の後ろ姿を見つめ続けている自分は、彼女よりもずっと大馬鹿者だ。侑と違って優しいから。そんなもの、自分を好いてくれない惚れた女に、誰が優しくなんてできるものか。

「なーあ、もうええんちゃう?何回目やねん、サムにフラれんの」
「まだ五回目!それに治に彼女ができたわけじゃないし、諦められる訳ないでしょ」
「ああ、確かにこーんなしつこい女が周りにいてたら、そらサムもよぉ彼女作られへんよなー。彼女に何や変なことされるんちゃうかって心配やもんな」
「そ、そんなことしない!」

が昼休み、治に告白した。それはもう彼女にとっても治にとっても侑にとっても、恒例行事のようなものだ。五回目と言うけれど、それは今回のように治を呼び出した上での正式な告白で、冗談みたいに会話に織り交ぜてくる"好き"を入れれば、その回数は侑にも数え切れない。そのたび軽くあしらわれたり、本気でフラれたり。一度、治に告白の話題を振ったときには、テレビのチャンネルを変えながら、俺の好みは年上のお姉さまやねん、と身も蓋もないことを言っていた。年上のお姉さま。同い年で子供っぽいところもある彼女には到底叶えられそうもない条件に、侑は密かに胸を撫で下ろしたものだった。家までの帰り道、同じ方向だというのにいつもを避けるようにさっさと帰ってしまう治の代わりに、侑はと並んで歩く。バレー部の練習を欠かさず見に来る彼女が遅くなるのを心配した親に、侑か治のどちらかが必ず一緒に帰るように言われていた。これだけあからさまに避けられていても挫けない精神だけは凄い。項垂れてしょぼくれた顔をする彼女の頬を掴んで引っ張る。

「いひゃい!!」
「ほら、ええ加減、こっち向きぃや。サムと同じ顔、同じ声やで、ほらほらほら。俺でもええやろ、何があかんの?」
「やめてってば!私が好きなのは治だから!侑痛いことするからキライ!」
「腹立つわコイツ」
「いひゃい!やめへ!」

頬を片手で押さえながらもう片方の手で繰り出してくるパンチを受け止めて、の頭を軽く小突く。が治に告白してフラれた回数は、そのまま侑が彼女にフラれた回数となる。いつもの行事だ。最初はフラれて泣いている彼女をどうにか泣き止ませようと、揶揄うように、それを口にした。大好きな治と同じ顔、同じ声の男が目の前にいるのに、ちっともこっちを見やしない彼女に業を煮やしたのも、ある。だが、侑がそう口にしたところで、がこっちを見ないままであることに変わりはなかった。最初は揶揄っているとしか思っていなかったかもしれないが、流石にもう侑の気持ちにも気付いているだろう。好意を向けてくる相手を簡単に好きになれるなら、世の中にこんなに失恋の歌は溢れていない。帰宅して居間に入った瞬間、テレビから聴こえてきた流行りの失恋ソングに舌打ちする。チャンネルを回しながら、あの歌を、彼女も聴いているのだろうかと、ふと思った。

最初はただ、が物珍しかった。関西弁の溢れる中で、彼女の話す標準語は聞き慣れなくて、喋るたびになんだかむず痒くなった。関西では普通に通じる揶揄いも冗談も、彼女は全てまともに受け取ってしまう。そんなところを、少し疎ましく思ってもいた。バレーを始めてから最初の頃は治とのコンビネーションも上手くいかず、負けることも多々あった。その度笑って誤魔化した。悔しいとか、そんな気持ちを表に出したらかっこ悪い。だが、それも彼女には通じなかった。

「あーあ、負けてもうたわ!まあ、相手ゴリラみたいなんおったしなぁ。見とったやろ?あれほんまもんのゴリラちゃうか?どこのジャングルから調達したんや」
「侑」
「ほら、帰るで。早よしぃ、今日のお笑い番組は見逃せんねん」
「侑!」

あれは多分、まだ小学生の頃。クラブチームの試合で負けた帰り道。今みたいに、と並んで帰っている途中だった。

「自分の大事な気持ちまで、冗談にしちゃダメだよ。勝ちたいとか悔しいとか、そんな気持ちまで、自分で笑って誤魔化しちゃ、ダメだよ」

いつになく真剣に向けられた言葉と表情に、どきっとしたことを覚えている。誤魔化して笑って、見ないようにしていたかっこ悪い本心を見透かされたみたいで。疎ましかった。嫌いだった。真っ直ぐこちらを見つめる瞳が。冗談の通じない性格が。なのに、いつの間にか、目が離せなくなっていた。それを恋だと認めたくなかった。だって彼女は、そのとき既に侑の隣の男に恋をしていたのだから。

テレビのチャンネルを回している途中で治が居間に入ってきて、侑の隣に腰を下ろした。そのまま二人で最近よく名前を聞く芸人のバラエティ番組を流し見て、ふと壁の掛け時計に目をやった治が立ち上がる。

「俺先風呂入るわ」
「は?ちょお待てや、なんでやねん。俺が先入る」
「ツムお前昨日も一番風呂やったやろ、順番や順番」
「はあ?あ、ちょお待てって!」
「お先〜〜」

何や、あいつ。そう思いながらテレビに視線を戻す途中。テーブルの上に置きっ放しの携帯に目が留まった。治のだ。手に取ると、携帯のストラップが揺れる。まるで自分の躊躇いを映したかのようなそれを、そっと掴んだ。同じ機種、同じ色。紛らわしいからという理由でつけた、自分の携帯とは違う色のストラップ。治の携帯は侑のものとは違い、ロックはかけられていない。何もやましいことなんてない。見られて困るものもない。そういうことだろうか。治の真っ黒な携帯の画面を眺めていると、眉間に皺が寄ってしまっていたことに気付く。アドレス帳を開いた。LINEを使おうかと思ったが、それでは履歴まで見てしまうことになる。それは流石の侑でも気が咎めた。何より、治と彼女が普段どういうやりとりをしているかなんて知りたくなかった。
アドレス帳には家族の他はほとんど登録されていない。その中に、目当ての名前を見つけて画面をタップする。あと一度、指を触れれば。簡単に繋がってしまう。引き返すことはできた。それでも、上手くいくという確信の方が強かった。電話での二人の声の聞き分けなど、親にも出来ないくらいだ。別に、こんなふうにしなくたって、彼女と話すことはいくらでも出来るのに。でも、一度でいい。たった一回。ただの友達ではなく、好きな人と話す彼女の声を聞きたかった。馬鹿だとわかっている。だがどうせ、馬鹿は今に始まったことじゃない。画面に指が触れる。少しの間があって、単調な発信音が鳴り始めた。それも、ほんの数コールで途切れてしまう。

『治……ッ!?』
「……おお、なんやテンション高いなぁ」
『そりゃ……そうでしょ、治からかけてくること、ほとんどないんだし。何の用事?』

弾んだ声。侑に話すのよりも、明るく透き通った響き。これが、いつも治に向けられている声なのか。隣で聞いていたのだから、どんな声で話しているかなんて、わかっていたはずなのに。自分に向けられてみると、より違いが浮き彫りになる。やはり何とも思われていないのだと改めて突きつけられるようで、無性に腹が立った。

「いや、別に……」
『……あ、もしかして、今週末の花火大会の話?一緒に行こうって話してたもんね』
「は?……ああ、そうや、それや」
『待ち合わせ何時にする?』

適当に受け流してネタばらしして、"残念やったなぁ"と笑ってやろう。そう考えていたのに、突然のの言葉に、侑は呆気なく固まってしまった。花火大会。確かに、今週末にはあるけれど。部活も夕方にはオフになる。だが、治がと花火大会に行くなど、全く聞いていなかった。二人で。彼女には興味がないと言いながら、いつの間にか情に絆されたか。長年一番近くにいる女の子に好きだと言われ続けていたら、その気がなくても情が湧くのもわかる。けれど。心臓をいきなり突き刺されたような痛みに、侑はシャツの胸の辺りを強く掴んだ。電話の向こうにはわからないように息を吐き出す。

「夕方の六時でどや。花火の前に出店回るやろ?」

落ち着いた声が出せた。自分のものとは思えない、感情を押し殺した声。治みたいな声。何の感情もない言葉に、彼女は変わらず楽しそうに言葉を続ける。

『うん、そうする。ねぇ、浴衣とワンピースどっちがいいかな?』
「……俺は、」

浴衣がいい、なんて、治は言わない。の服装がどうであっても、彼には興味ないだろう。

「どっちでもええわ」
『うん!楽しみだなー。あ、それより』

これでいい。親にもわからない電話越しの声に、彼女が気付くわけがない。治には何とでも誤魔化せる。あとは、電話を切ればそれで。

『私、治とそんな約束してないんだけど、からかってんの?ねぇ、侑』
「ーーッ!!」

それで終わると、思っていたのに。彼女に見抜かれていた。一体いつから。その言い方からすると、最初からか。どうして。電話越しの二人の声の判別など不可能だ。それとも、カマをかけただけだったのか。どっちみち、驚いた拍子に通話を切ってしまったら、認めているのと同じだ。治が居間に戻ってくる足音がして、慌てて通話履歴を消して先ほどの場所に携帯を置く。

「ツムー、上がったでー」
「あっ、おう、入るわ……」
「どうかしたんか?めっちゃ青い顔してんで」
「お前が上がってくんの遅すぎて、汗冷えたんや」
「いや、クーラーついてへんけど……てかつけとけや、暑いわ」

治が不審げな顔を向けてくるのを見ないようにして、居間を出る。その夜は、ぐるぐると思考が空回って寝られなかった。





(2018/2/4)