やわらかい溺愛




久しぶりに集まった面子は、やはり相変わらず騒々しくて、花巻はネクタイを緩めながら苦笑する。どうしても抜けられなかった休日出勤の終了後、その足で向かった居酒屋では、既にかつての青城バレー部レギュラーメンバーが揃い踏みしていた。金田一は開始一時間も経っていないだろうに、もうほろ酔いでやけに明るく、目は焦点が合っていない。国見はその横で、及川から注がれた酒を金田一の方に押しやりながら自分のペースで飲んでいた。なるほど、それで潰れかけているわけだ。
後輩たちに声をかけて、奥のテーブルへと足を進めれば、空いていた岩泉の前の座席へと座らされた。

「マッキー久しぶり!駆け付け一杯!」
「へー、お前もちゃんとサラリーマンやってんだ」
「スーツも板についてんなぁ。休日出勤お疲れさん」

注がれたビールを一気に喉に流し込むと、おおーと声が上がる。社会人になってからこうして集まるのは、そういえば初めてだ。学生の頃には苦くて飲めなかったビールも、社会人になったら避けては通れない。慣れてしまえば、あの喉越しは意外と嫌いじゃなかった。

「どうよ、会社勤めは」
「まあまあじゃね?今日は出勤しなきゃだったけど、基本はうち土日休みだしさ。岩泉の方が大変だろ」
「そうだよなー、岩泉巡査!」
「今は派出所勤めだから、言うほど大変でもねぇよ。近所の婆さんの話を聞くくらいでさ」
「岩ちゃんがしかめっ面で立ってたら、他の人は相談しにくいだけじゃない?」

岩泉に技をかけられ、ギブギブ!と白目を剥く及川に笑い声が上がる。昔と全然変わっていない。岩泉の腕から逃げ出すと、及川は花巻の隣に腰掛けた。

「マッキーは、彼女と順調?」

へらへらとしながら目は笑っていない。その探るような表情には覚えがある。彼女と付き合ったばかりの頃の、部室での一件、初詣、彼女の受験時。いつも及川はこんな表情をしていた。あの頃は今ほどの余裕もなくて、及川の発言に振り回されるたび、彼女にはかっこ悪いところを見せたと思う。まとめて余裕のない過去の自分を思い出し、花巻は頭を抱えた。

「あれ?もしかして別れた?」
「別れてねーよ!順調だよ!」
「そっかー。岩ちゃんは、この前婚約したんだよ!ね!」
「え、そうなの?!」

ビールを煽っていた岩泉が噴き出した。席の全員が会話をやめて岩泉に視線を向ける。気管にでも入ったのか、しばらく噎せ込みながら、岩泉は警察仕込みの以前より鋭い眼光で及川を睨んだ。

「黙れ及川!なんでお前が言うんだよ!」
「えーいいじゃーん」

茶化したように笑う及川とは異なり、岩泉の隣に腰を下ろす松川は神妙な顔で口を開く。

「でも、結婚って思い切ったな。花巻も付き合い長いけどまだじゃん。何がきっかけ?」
「別に……なんか先輩が彼女と喧嘩別れしたときに、思ってさ」

全員が自分の言葉に集中しているのに居心地の悪さを感じるのか、岩泉は少し姿勢を正して座り直す。岩泉の先輩は、ちょっとしたことで彼女と喧嘩し、そのまま仕事に出て大きいヤマが入ってきたために仲直りする暇も気力もなく、結局一ヶ月も経って連絡を取ったら別れ話をされたのだそうだ。理由は新しい男ができたから。

「俺らの仕事って不定休だから、疲れてるからって喧嘩して、そのまま仲直りする暇なかったら、待っててもらえねぇかもしんないんだよな」

待っててくれるだろうと勝手に信じても、現実はそんなに甘くない。忙しいのだって彼女は知る由もないのだ。そんなのは言い訳にもならない。一生一緒にいるという確かな約束を交わして、嫌でも同じ家に帰って、顔を合わせて。そうでもしないと、もしも同じようなことになったとき、自分も仲直りするタイミングとともに、大事なものを失くしてしまうかもしれない。そう思ったのだと、岩泉は言った。

「だからとりあえず、この先別れてやる気はねーなっていうの考えて、だったら、結婚しちまうかって」

言い切って、場の空気に耐えられなくなったのか、新しく注文したビールを煽る岩泉に、ほとんどのメンバーは尊敬の視線を送る。ここまで男らしい決断はなかなかできないだろう。

「なんか、かっこいいな……」
「まっつんはー?彼女は?」
「この前フラれたんだよバーカ!」

岩泉の英断に嘆息していた松川が及川の頭におしぼりを投げつける。それを躱しながら笑う及川に、岩泉のおしぼりがヒットした。おしぼりを頭に被って喚く及川の姿を写メに収めながら、今度は花巻が聞いた。

「及川は、彼女いねぇわけ?」
「俺?俺彼女いないよーボシュー中」
「一番モテてたくせにな」
「だから別にあの子ら及川に本気じゃねぇんだって。アイドルにキャーキャー言ってるみたいな」
「あー、確かに。及川と同じクラスとかになったらことごとく皆目が覚めたみてぇに『私何してたんだろ、黒歴史だわ』とか言ってたもんな」
「ちょっと皆ひどくない!?久しぶりの再会だよ!?幹事にもうちょっと優しくしてくれてもよくない!?」

幹事はもっとしっかりやれー、と四方八方から飛んでくるおしぼり、ときどき座布団をその身に浴びながら「皆もう知らないからね!及川さんもう幹事やってやらないから!」と喚く及川が、泣きながらビールを瓶で煽って。その後飲み会はすったもんだの末、及川と金田一が潰れて、幹事が役に立たないまま近況報告を話したり聞いたり愚痴ったり飲んだりして、零時近くにお開きとなった。及川の財布から少し多めに会計を抜いた岩泉が全員から飲み代を回収し、支払いを済ませる。及川は岩泉が、金田一は国見がそれぞれタクシーへと詰め込んで、各自解散となり背広を片手に居酒屋を出て歩き出した花巻を、岩泉が呼び止めた。

「花巻!」
「お、及川回収係」
「うるせー変なアダ名で呼ぶな。花巻、今度……式の招待状送っから」
「あ、おお。んな照れんなって!さっきのあのかっこよさはどうしたんだよ」
「うっせ。お前も、結婚するときは呼べよな」

結婚。岩泉の口から聞くとは予想していなかった言葉に、花巻は飲み会中ずっと、静かに動揺していた。警察になってさらに鍛え上げられた肉体に、強い精神力、さらに男らしい決断。相変わらず岩泉は、男の目から見てもかっこいい。それでももう、長いこと付き合っている彼女が、岩泉に揺れるとは思っていないけれど。ずっと考えてはまだ先の話だと思っていた二文字が急に現実味を帯びてきて、花巻は深く息を吸い込んだ。

「おう。式、楽しみにしてるわ」



*****



「あ、おかえり、貴大」
「ただいま……すげぇ体勢で寛いでんな」
「久しぶりに一人で買い物して歩き回ってたら脚がむくんじゃってさー」

家に帰ると、ソファに足を乗せ、床に寝転んで雑誌を読んでいる彼女の姿があった。もう零時はとっくに過ぎているのに、帰りを待ってくれていたらしい。遅くなるかもしれないから寝ていていいと言ったのに。花巻が背広とネクタイをハンガーにかけている間、雑誌に目を向けたまま彼女が声をかけてくる。

「どうだった、皆元気だった?」
「ん、変わってなかった」
「岩泉くんも?」

とても自然に発されたその名前に、花巻の手が止まった。高校時代のバレー部メンバーで飲んでくると伝えているし、彼女がそのメンバーの中で一番記憶に残っているのは岩泉だ。その名前が出てくることは、なんら不思議じゃない。もう彼女が岩泉のことをなんとも思っていないことだって、わかっているはずなのに。花巻が返事をしないことを怪訝に思ったのか、彼女が雑誌から顔を上げる。

「なに、変な顔して」
「や、岩泉、相変わらずかっけぇなって改めて思ってさ」
「ふぅん?私には貴大がかっこよく見えるけどね」
「……今、岩泉にすげぇ嫉妬してたのに?」
「そういうとこも好き」

くだらないとわかりつつも嫉妬していたことは、すっかりお見通しなのだろう。軽やかに笑いながら、もう照れることもなく目を見て放たれる言葉に、花巻の心はあっという間にほどかれる。

、俺さ」
「うん?」
「今後もお前と別れるつもりないんだけど」
「うん」

雑誌を横にやって起き上がる彼女の前に、花巻も脱ぎかけたスーツのまま正座する。こんなときのために指輪を買っておけばよかった。長いこと付き合っていても、やはり改まると緊張するものなのだと、花巻は喉の渇きを感じながら思った。まっすぐに見つめてくる目に、言葉が詰まる。花巻の膝に乗せられた手に、一回りちいさな手が重なった。

「すぐ嫉妬するし余裕なくてかっこ悪ぃけど、絶対に他の誰より、お前を幸せにするから、俺と結婚、してください」
「……うん」

彼女がやわらかく微笑む。重なったふたつのてのひらには、あたたかい幸せが握られている。





(2015/7/16)