紫陽花とカタツムリの恋 01
ジューンブライドとはよく言ったもので、六月には知り合いの結婚式でスケジュール帳の休日が埋まった。その結婚式の予定のひとつは、高校の頃からよく知るカップルだ。その予定をなぞって、及川は目を細めた。彼女の言っていたことを、もう認めなければならないのかもしれない。
梅雨の時期にも関わらず、曇ってはいるが雨は降らなくて、二人の門出を祝福しているようですね、なんて言葉がそこかしこから聞こえる。めでたいことではあるが、今月三つ目の結婚式なせいで、懐がだいぶダメージを受けた。それ以上に、祝いたいという気持ちが勝るのは勝るのだけれど。
「……新郎新婦の友人なんだけど、控え室はどこかな?」
「あ、はい、あっちです……」
新婦の友人らしい受付の女の子は、及川が微笑むと頬を染めた。女の子に好ましく思われることなんて小さい頃から日常茶飯事で、息をするより簡単だ。こんな性格だから、及川の男友達は今も昔もバレー関係者だけであったし、女友達はいたことがない。どちらかと言えば新郎の友人にあたるのだが、及川が向かったのはそちらの部屋ではなかった。コンコンコン。ノックを三つ。どうぞ、という声に促されて、扉を開けた。
「……綺麗だね」
中でひとり式を待つ、白いドレスに身を包んだ女性は、及川の知る花巻の彼女とはまるで別人だった。落ち着いた茶色の髪は綺麗に結い上げられ、薄いベールの下で穏やかな微笑みを浮かべている。
「及川くん。来てくれたの」
彼女は及川がこの部屋を訪れたことに、何も疑問を感じていないようだった。きっと何の話をしに来たのか、とっくにわかっているのだろう。
「ねぇ、及川くん、高校のときの話、覚えてる?」
高校時代。彼女は岩泉のことが好きだった。たぶん真っ先に気付いたのは自分だったと、及川は思うのだ。黄色い声を上げる女の子の集団に混ざらずに、ただじっと岩泉だけを真摯に見つめる瞳。ああ、まただと思った。中学時代にも、岩泉を好きになる女の子はいつもそうやって静かに彼だけを見ていたから。その女の子が岩泉に告白することはなかったようだが、今回はどうなるのかと及川は少しだけ気にして見ていた。そしたら、三年の冬が近付く時期になって、彼女は何故か花巻と付き合い始めてしまったのだ。どうして。岩泉が好きなんじゃなかったのか。何故、花巻と。誰にもぶつけようもない疑問がぐるぐると及川の頭の中を駆け巡る。そもそも彼女は岩泉が好きで、その彼女が花巻と付き合ったところで及川に関係することなんて最初から何一つないはずなのに、気になって仕方なかった。気になる理由もわからなくて、ますますイライラする。花巻と彼女が付き合ってしばらくして卒業が近付いたある日、及川はひとりで教室にいる彼女を見かけた。おそらく、花巻のことを待っているのだろう。これはチャンスだと、彼女の近くの席へと座り込んだ。
『ねえねえ、マッキーのどんなとこが好きなの?』
『……えっと、及川くん?』
『どういうところが好きになったの?だって、君、岩ちゃんのことみてたでしょ?あ、大丈夫だよ!一年のときから気付いてたけど、岩ちゃんには言ってないから!』
ひと息に告げると、彼女は大きく目を瞬く。岩泉とは花巻を通して何度か話していたけれど、及川と彼女はこれがたぶん初めての会話だった。驚いて当然だろう。だが、彼女は及川の言葉をゆっくりと咀嚼するように飲み込んで、頬を赤く染めながら目を逸らす。
『……余裕ないくらい、私のことを好きでいてくれるところ』
こういうことを、あまり知らない他人に踏み込まれたからといって教えてくれそうにないタイプなのに、彼女は小さな声でそう呟いた。その理由に、及川は眉を顰める。
『マッキーが君のこと、すきじゃなくなったら、どうするの。そもそもさ、私のことが好きなあの人が好き、っていうのってただのエゴだって思わない?それって自己愛でしょ』
好きだと言われて好きになるなんて、それこそ不純な動機に見える。相手の気持ちが全てだなんて、なんて脆い想いだろうか。人の気持ちなんて、移ろいやすいものなのに。それってただ単に、やっぱり自分のことが好きなだけなんじゃないのか。及川は少し残念な気持ちを抱いていた。その理由も、よくわからないけれど。だが、彼女は及川に言われた言葉に傷つくでもなく、反論するでもなく、考え込むようにしながら言葉を紡ぐ。
『自分でもそう考えたんだけど、貴大見てたら、やっぱり好きだなって思うの。どうなのかな?及川くんは、そこまで想ってくれる人に会ったことはある?』
ぐ、と言葉に詰まった。純粋なその疑問に、及川は答えられなかった。いや、答えたくなかった。今まで女の子に告白されたことなんて数え切れないくらいある。バレンタインなんて、誰から貰ったのかわからないくらいのチョコを受け取って、女の子に好かれるのなんて、至極簡単で日常茶飯事で。そんな人生を送ってきたのに、余裕がないくらい、ただ自分をあんなふうに真摯に見つめてくれるような女の子はたった一人もいなかった、なんて言いたくない。いつだって及川を好きになる女の子は『かっこよくて気さくで優しい』なんて勝手な理想を押し付けてくる。本当の自分がひどく性格が捻じ曲がっていることくらいは自覚しているから、及川はいつだってその告白を鼻で笑っていた。好きだと口では言いながら、本当の自分なんて、全然見てくれていないじゃないか。もっとも、″本当の自分″が人に好かれるような人間じゃないこともわかっているから、見てくれても幻滅されて終わるだけなのだが。結局『かっこよくて気さくで優しい彼氏』というアクセサリーが欲しいだけなのだ。
『たぶんだけど、貴大が私をすきじゃなくなる日が来るっていうのは、心配してないんだよね』
彼女は及川の様子に気付かないように言葉を続ける。そんなのわからないじゃないか、人の気持ちなんて、移ろいやすいものなのに。自分がそう言葉にすれば、移ろいやすいような薄っぺらい想いしか受け取ってこなかったと言っているようなものに思える。
『及川くんモテるから、きっと私の気持ちわかるよ』
なのに、彼女がそんなことを言うから。
『でも、人の気持ちなんて、すぐ変わるもんでしょ』
つい、本音が口から滑り出た。だって、そんな想いしか受け取ってこなかったのだ。いや、受け取ることもしなかった。そんな薄っぺらい想いなんて、いらなかったから。つい刺々しい口調になった及川に、彼女は憤ることもなく微笑んだ。
『……じゃあ、いつか、及川くんが人の気持ちを信じられる日が来るといいね』
なんだ、それ。余裕ないくらい好かれてる側の自信か。そうやって心の中で貶す自分はやはり、性格が悪い。わかっていても、認めたくなかった。彼女の目を見ていられなくて、及川は足早にその教室を立ち去った。途中で花巻とすれ違ったけれど、挨拶を交わすこともなく廊下を走る。その後、花巻にまた何か言われるかもと覚悟していたが何も言ってくることはなく卒業を迎えた。どうやらこの日のことを彼女は花巻にも話していないようだ。目の前で白いドレスに身を包んだ彼女は、あの日と同じ目をして微笑んでいる。
「及川くん。まだ、信じられない?」
「君は、信じるの怖くないの」
「怖くないよ。だって貴大の気持ちは、ずっと伝わってきてたから。及川くんも、もうわかってるでしょ」
いつまで経っても余裕がないくらい、ずっと真剣にすきでいてくれる子なんて、本当にいるんだろうか。岩泉を好きになる子は、いつもそんなタイプだった。とても真剣に、岩泉のことが好きだった。目の前の彼女だって。そして、彼女は花巻のことも、とても真剣に好きになった。そういう子が、自分にも本当に現れるのだろうか。いつだって期待を抱きながらも、自分が軽薄で性格が悪い人間だから、そういう好意しか寄せられないのではないかと諦めてもいた。けれど。彼女はベールの奥で、真剣な目をしている。知っている、わかっている。その目が何を訴えているのか。
「ずっと伝えてきてくれる子、いるんでしょう?」
認めなければ、ならない。
*****
及川と花巻の彼女は仙台の同じ大学へと進んだ。それに関しては花巻に何も言われはしなかった。元々岩泉くらいしか警戒していないのだ、彼は。及川も彼女も、お互いをなんとも思ってないことは知っている。それに学部が違ったから、ほとんど関わることなんてなかった。それでも及川は高校時代と変わらず女子生徒の話題の的だったので、彼女は及川の話は耳にしていたのだろう。誰に告白されて、誰と付き合って、別れて。そんな話を。
二年の六月。ちょうど付き合っていた、顔が可愛くてスタイルが良い彼女に全然構ってなかったら他に好きな人ができたとフラれた。そんな頃、また及川は呼び出しを食らっていた。いつもと違うのは、メールやLINEではなく、手紙が人づてに渡されてきたくらいで、呼び出し場所が体育館の裏という、バレー部にとっては極めて目立つ場所だったということだけだ。いつもはもっと目立たないようなところを指定されるのに、と不思議さとめんどくささを感じながら体育館裏へ赴くと、厚ぼったい眼鏡に野暮ったい服装の黒髪の女の子が立っていた。前の彼女とは似ても似つかない。というか、自分はこういう子に好かれるタイプでもないし、及川としても彼女はタイプではない。これは断るな、と告白をされる前から決め込んで、及川は表面上だけ微笑んだ。
「俺に何か用かな?」
「あ、ああ、あの、その、えっと」
「えーっと、落ち着いて?」
「あ、はい!すみません、すきです!あの、高校のとき、及川くんの、バレーしてる姿がとても綺麗で、私、見惚れちゃって……それで、あの、高校は違ったんですけど!大学で偶然及川くんを見つけて!それからずっと見てたんですけど、どうしても、伝えたくなって……」
「あーそうなんだ。でも俺部活に集中したいから、今彼女作る気ないんだー」
可愛い子なら、暇つぶしに付き合ったけど。性格の悪い言葉は飲み込んで、笑顔の仮面で使い古された言い訳を口にする。彼女は驚いたように顔を上げて、手をブンブンと横に振った。
「そんな!付き合ってほしいとかそんなことは!……あの、及川くんに気持ちを伝えられて、部活してる及川くんが見れれば私は充分幸せなので……また見に来てもいいですか?」
「ああ、それはもちろんいいけど……」
「ありがとうございます!お時間とってすみませんでした。部活頑張ってください!」
ぺこりと深く頭を下げて、彼女は笑顔で立ち去っていく。及川は呆気にとられた。こういう告白は初めてだ。頭を下げたときに彼女の肩から零れ落ちた黒髪だけは綺麗だったな、と遠くなる背中を見ながら及川は今の出来事を反芻していた。
(2015/7/20)