赤葦の苦労




合宿が終わって、木兎の恋の病はますます悪化していた。メール画面を眺めてはテンションが上がったり下がったり。赤葦は疲労感を隠す気もなく、木兎の話に適当に相槌を打つ。試合中の不調ならある程度はカバーする。だが、ここまでくるともう守備範囲外だ。惚気なのかなんなのかもよく分からない話は、もう既に一巡していて、さっきまでの話はなかったかのように二巡目に入っていた。バレーのローテーションじゃないんだから。冷静なツッコミは赤葦の脳内だけで行われて、現実に言葉になることはない。

「それでさー、やっぱ気が合うんだよな!さすが黒尾のダチだけあるっつーか。んでさ、可愛いの!昨日メールしようと思ったらさ『木兎くん、今何してる?』ってメールきて!」
「へー、そうなんですか」

その話はもう今朝から五回は聞いている。赤葦は死んだ目でただひたすら頷く自動マシーンと化した。赤葦が何度も首を縦に振り続けているあいだに惚気ターンが終わった木兎は憂鬱ターンへと突入していた。面倒だからもうずっとそのままでいてほしい。

「あー、ちゃんに会いてーなー」
「そうですか」
「俺もう音駒に転校しようかなー」
「いやほら、木兎さんそこまでしなくても、今の距離くらいがきっとちょうどいいですよ、それに今度の練習試合で会えるじゃないですか」

前言撤回、憂鬱ターンも同じくらい、いや輪をかけてめんどくさい。急に饒舌になった赤葦にも、今まではちゃんと聞いていなかったのかと不信感を抱かない木兎はある意味扱いやすいが、木兎のバレー以外の思考パターンは赤葦にはよくわからない。突拍子もないことを考えてやる気をなくされたり、ないとは思うが万が一行動に移されたりしてはたまらない。週末の練習試合まではなんとか木兎のテンションは保てそうだが、これを大会が全て終わるまであと何度繰り返さねばならないのだろうか。赤葦は考えることを放棄した。



*****



『赤葦、木兎の調子はどうよ?』

そんなことをくだけた調子の電話で聞いてくるのは一人しかいない。黒尾の言う調子の中には、バレーのコンディションと恋の調子と、そのどちらもが含まれているのだろう。そしてそのふたつは割と関連している。だからこそ、赤葦も他人である木兎の恋に無関心ではいられないのだけど。

「そんなこと俺に聞かなくても黒尾さんは木兎さんから筒抜けでしょう」
『んなことねーって。今日の昼飯の内容くらいしか知らねーもん』
「そんなの俺知りませんけど」

黒尾は他校生であり、本来は敵チームだ。そんな彼に、恋愛事情のみならず、私生活まで筒抜けではないか。さすがにチームの戦略なんかは漏らしていないだろうなと思ったが、そういえば木兎にはチーム戦略なんて全く関わらせていなかった。一安心である。木兎はチームではなく、個人で動いてもらう。それをサポートする形で梟谷というチームが成り立つ。メンバーひとりひとりのポテンシャルが高く、かつ、木兎をエースとして絶対的に信頼しているからこそ、このようなチームを作ることができている。だから、木兎は要であり、ある意味では何も考えていないことが強みなのだ。黒尾は電話口で笑いながら、木兎の今日の献立を並べてくれた。

『今日は焼きそばパンとメロンパンとコロッケパンと唐揚げだって』
「メニュー聞いただけで気持ち悪くなりました」
『ははっ、で、木兎は相変わらず?』

惚気とも愚痴ともつかない話をこぼして、テンションの上がり下がりが激しくて、練習にも影響を及ぼしたり及ぼさなかったり。そういうのが相変わらずだというなら、木兎は相変わらずなのだろう。

「相変わらずです。毎日毎日惚気ともつかない話を聞かされる身にもなってください」
『おーお疲れ』
「向こうはどうなんですか」

赤葦が知る限りでは、良い反応を貰っているようであるが、なにぶんそれは木兎から得た情報である。情報源が信頼性に欠けるといっては失礼だが、事実その通りだ。客観的な立場からの向こうの反応。それを赤葦は一番気にしている。たぶん木兎よりも。

『さー、どうなのかねー。なんか心持ち楽しそうな感じよ。やっぱ気が合うのかね』
「へー、じゃあ告白してもいい感じなんじゃないですか」

試合でも赤葦が滅多にすることはないガッツポーズが出そうになった。あぶない。上手くいってくれたら、それ以上に望むことは今はないくらいだ。だが、黒尾は少し言い淀んでいるような雰囲気である。

『……俺もそう思ってるとこ』
「俺早くこの気苦労から解放されたいんですよ……」
『あ、うん、なんかお疲れ赤葦』
「お疲れ様です。また何かあったら教えてください」

一番彼女の身近にいて、観察力の高い黒尾からの情報だ。これは、告白して成功する可能性が高いと赤葦は踏んだ。作戦を練る必要がある。



*****



「とにかく、作戦をたてましょう」
「おう」

というわけで、翌日の練習後、早速二人は居残っていた。二人が居残るのはいつものことなのだが、違いは、木兎の我儘でバレーをして動き回っているか、赤葦の提案で着座して膝を突き合わせているかだ。現在赤葦の提案にて、体育館の隅っこで二人で座っている。こうして赤葦の言うことを木兎がおとなしく聞くのは、彼女のことを好きになってから。そういう点では、成長があったと言ってもいい。

「木兎さんもう告白するつもりですよね?」
「したい」
「いつする気ですか」
「え、ちゃんにあったらすぐ!」
「はあ……頭痛い……」

前言撤回。小学生男子でももう少し考えるだろう。会ってすぐに告白って幼稚園児か、と言いたくなるのをグッと堪え、赤葦は至極冷静な声色で返す。

「木兎さんそれもしフラれたらどうするんですか」
「えっ……………………………やべー、ガチで凹んだ今」
「初日はやめておいた方がいいです。最終日にしましょう。向こうが帰る直前を狙います」

まあしかし、こうして想像で凹んで真っ青になって大きな身体でシュンとなる素直さは、なかなか他にいなくて、可愛いと言えなくもない。こういう木兎の良さを、相手がわかってくれればいいのだが。想像だけでこれだから、実際フラれたら合宿は散々だ。間違いない。その後の公式戦にも響くかもしれない。それは困る。梟谷の大切なエース様なのだ。リスクは最小限にしなければならない。赤葦はシュンとなってしまった木兎を励ますように話す。

「合宿中、俺からも探りを入れますし、木兎さんは好感度が上がるように話しかけてください」
「好感度ってどうやって上げればいいの?」
「基本的には褒めればいいんです。それが外見でも、中身でも」
「赤葦やってみて」
「木兎さん今日の髪型決まってますね。いつも以上に強そうです。それに木兎さんって結構優しいからモテるんじゃないですか?さっきの最後のインナースパイク、あれは強豪でも木兎さんくらいしか打てないですよね」
「やべぇめっちゃテンション上がるわ。それ定期的に言って」
「いいですよ」

定期的に言うのはめんどくさいから、なんなら録音してやってもいいくらいだ。たぶん録音を流しても充分喜ぶだろう。一瞬にしてご機嫌になった木兎に、ほんとに素直で可愛い人だなと赤葦は思う。ここまで単純なのは、純粋に取り柄だ。

「それで、俺が最終日前日に向こうに木兎さんのことどう思ってるかさりげなく聞いてみますから、その結果次第で告白しましょう」
「え、結果次第って?」
「好印象なら告白、そうでなければまだやめておきましょう」
「好印象以外ありえなくね?」
「俺もそう願ってます」
「わかった!あかーし、サンキューな!」
「いえ、別に」

木兎が人に嫌われることはあまりない。試合でも、相手校の選手にさえ凄いと思わせる、賞賛される、士気を上げてしまう、そういう強さがある。たとえば宮城の牛島のように相手の心を折るのではなく、木兎は相手に対して純粋にぶつかって悔しがったり喜んだりできるから。だから、好印象以外であることを、赤葦もあまり心配してはいないのだけど。恋愛だけは、正直読めない。ただ、二人が上手くいけば、この気苦労も少しは報われる気がした。





(2015/6/10)