控えめな愛の象徴




一月も半ばを過ぎれば正月気分も抜けて、校内は次の行事に向けてそわそわと浮き足立っている。二月のバレンタイン。しかし、その前に自分にはもっと重要な行事が控えていた。一月二十七日。明日は花巻の、誕生日だ。は授業中にも関わらず、自分の席で深く項垂れた。前方に見える短髪は既に机に突っ伏して夢の中である。暖房の程よくきいた古典の授業は確かに眠いが、寝ている場合ではない。プレゼントに何をあげればいいのか、にはさっぱり見当がつかなかった。友人だった頃には毎年コンビニのシュークリームをあげていて、花巻は既にたくさんのシュークリームを貰っているにも関わらず喜んでくれた。だが、今年はたぶんそれでは駄目なのだ。一応自分は、花巻の彼女になったのだから。カーディガンの下の手首では、花のブレスレットがシャラと揺れる。そうだ、これだって好みの可愛いものを、クリスマスに花巻はちゃんと買っていた。そのときには、一日二十個限定のシュークリームを朝に並んで買っておいたのを渡して、とても喜んでもらえたけれど。今度は、残るものを渡したい。の悩みは、プレゼントだけではなかった。

、今日先に帰ってて。俺職員室に用事あるから」
「うん、わかった」

放課後、こうして花巻がわざわざ言いにくる理由をは気付いていた。数日前から、ちらちらとこのクラスを覗きに来ていた三人の女の子。その中に元クラスメイトを見つけ、彼女の視線が花巻を追っていることを知って、嫌な予感がしていたのだ。

告白。

バレー部で一番モテると噂の及川ほどではないが、花巻もわりとモテる。それは友人だった頃から知っていたのだけど。高校に入ってから、花巻が誰とも付き合っていないのはわかっていた。結構モテるのに、もったいないなぁ、と思った。彼の目はずっと自分に向けられていたのに、馬鹿だ。それに気付いたのは、三年の夏になってからだった。花巻は、もしかして、こちらに好意を向けてくれているのではないか。最初は小さな疑問だったけれど、一緒に過ごすうち、その疑問は確信に変わった。岩泉とのことを協力してくれていたはずなのに、何故。そう思わないこともなかったが、恋は理屈で落ちることができるものではないことは自分が一番よく知っていた。そうやって望みない片想いをすることがどれだけ辛いかも。そのうち向けてくれる好意に応えたいと思うようになった自分がいて、そうしての岩泉への片想いは自然と終わってしまったのだ。
教室を出て職員室方向へ向かう花巻の後を、は駄目だと思いながらも追った。趣味が悪い。覗き見なんて。信頼していないわけじゃない。花巻は、いつも余裕がないくらい自分のことを好きでいてくれたから。それでも、嫌な感じで音を立てる心臓の上あたりのシャツを握りしめた。くるしい。花巻のことを、他に想っている女の子がいるだけで、こんなにくるしい。しばらく歩くと、花巻は人通りの少ない渡り廊下で立ち止まる。おそらく、そこが待ち合わせ場所なのだろう。は階段を登り、ひとつ上の階の渡り廊下で様子を伺うことにした。心臓はばくばくと音を立てている。こんなふうに盗み聞きしていることがバレたら、花巻に嫌われたりしないだろうか。やっぱりやめようか、そう思いかけたとき、下から女の子の声が聞こえた。

「花巻くん!」
「ああ」
「ごめんね、呼び出したりして……来てくれてありがとう」

ああ、やっぱりやめればよかった。こんなことを聞いていたら、絶対に次に顔を合わせたときにぎこちなくなってしまう。女の子の声は緊張もしているようだけれど心持ち弾んでいる。

「あの……花巻くん、私ずっと、一年のときからずっと花巻くんが好きだったの!」

彼女は本当に、花巻のことが好きなのだ。一年のときからずっと、という言葉がの胸に刺さる。ずっと。別に、長いこと好きでいる方がえらいとか、すごいとか思っているわけじゃない。ずっと好きでいたって報われない想いがあることも知っている。それでも、彼女の方が自分よりも前から花巻のことが好きだったという事実に、なんだか悔しくなった。岩泉のことがあんなに好きだったのに、こんなことを思う自分に動揺するけれど、もっと早く、花巻のことを好きになりたかった。もっとも、岩泉のことを好きにならなければ、二人はあまり関わることさえなかったかもしれないのだけど。花巻は、女の子の告白に「そうなんだ」と返す。

「ありがとう、でも俺彼女いるんだ。彼女のことが好きだから、ごめんね」
「そっか……わかった。ありがとう、聞いてくれて」

それは、告白を断る文句としてはとてもありがちな言葉だ。彼女のことが好きだから。でも、その一言でこんなに安心できる。もしかしたら、その子の方が花巻のことを好きで、その子と付き合った方が幸せになれるのかもしれないけれど、渡したくなかった。

「私……もうダメじゃん」

小さく呟いた声が震えた。もうこんなに、花巻のことが好きになってしまっている。これから彼を失うことなんて、全然考えられないくらいには。下の声が聞こえなくなる。きっともう二人はいない。花巻も帰ったのだろう。は鞄の紐を握り直すと、昇降口へと走った。プレゼントを、用意しなければならない。



*****



花巻は朝から機嫌が良かった。友人たちに混じって、彼女からも零時ぴったりにLINEが来ていた。誕生日おめでとう、の言葉と可愛いスタンプがひとつ。たったそれだけだったが、友人のときには学校に行ってからシュークリームを渡すのと一緒にお祝いを言ってくれていたのが、日付が変わる瞬間にもう祝ってくれる。その変化と、覚えていてくれたことが何より嬉しかった。上機嫌で教室に向かう途中にも何人かの級友に祝ってもらって、たまにコンビニのシュークリームを貰ったりする。誕生日は毎年花巻の手元には食べ切れないほどのシュークリームが贈られる。それも楽しみのひとつだった。だが一番の楽しみは。教室に向かうと、扉のところに既に彼女が立っていた。

!おはよ!」
「おはよう、貴大」

あれ、と思う。なんとなくだけれど、彼女は緊張した面持ちで、いつもとは空気が違う。何かしただろうかと思うが、心当たりがない。もしかして、昨日告白されたのがバレただろうか。でも断っているわけだし。花巻の頭の中でぐるぐると考えが巡らされている中、彼女は躊躇うように口を開いた。

「あの……昼休みって、貴大お弁当?」
「え?いや、学食だけど……」
「そう……あの、お弁当作ってきたから、一緒に、食べない?」

昼休みはお互い友人同士で。これは付き合い始めの頃に二人で決めたことで、女子の友人関係も大事だろうからということで花巻も納得していた。けれど、今日はどうやら特別らしい。

「まじで?……めっちゃうれしい。楽しみにしとくわ!」
「あんまりたいしたものじゃないけど……あと、誕生日おめでとう」
「おう!さんきゅ!」

もしかしたら別れを告げられるのではないかというくらいの緊迫した空気を彼女が醸し出していたので緊張したが、嬉しい知らせだった。なんだ、と安心して席につく。それから昼休みまで、授業の方は全く手につかなかったが。
昼休み、人の少ないところで、と言われたので体育館の近くの階段に向かった。途中でそこじゃ寒いことに気付いて、二人でこっそりと部室に侵入する。そこは元部員だから大目に見てもらおう、と花巻は心の中で言い訳した。昼休みは誰も使わないはずだ。広げられた弁当は、ハンバーグや唐揚げやアスパラのベーコン巻きなどがいろいろと入った彩りのあるものだった。

「これ、結構大変だったんじゃねーの?」
「昨日から下準備してたから……毎日作るのは絶対無理だけどね。お母さんって偉大だわ」
「まじうれしい、食べていい?」
「どうぞ」

ひとつひとつ手をつける間、彼女は落ち着かない様子でそわそわとしている。

「うまい、これもこれもうまいけど、ハンバーグがめっちゃうまい!」
「よかった……ハンバーグが一番時間かかった。意外と難しいよね」

ほっと息をついて、一緒に食べ始めた彼女だが、いくら花巻が褒めても、何故か様子がおかしかった。心ここにあらず、というべきか。部室だから、バレたら怒られないかとかを気にしているんだろうか。怒られたって構わないけどな、と花巻は見当違いなことを考える。弁当を食べ終えて片付けると、彼女は持ってきていた鞄の中から、小さな袋を取り出した。

「これ……誕生日、プレゼント」
「え、弁当だけじゃなくて」
「いや、でもほんと、貴大の趣味じゃないとは思うん、だけど……嫌だったら、つけなくていいから」

かなり躊躇って手渡されたそれに、様子がおかしかったのはこれが原因か、と花巻はようやく納得がいく。このプレゼントが、悩みのタネだったわけだ。彼女からなら、祝いの言葉だけでも充分嬉しかったし、何を貰っても嬉しいというのに。どうやらかなり悩んで買ったらしいそのプレゼントを開けると、花巻の手のひらにコロンと転がり出たのは、可愛らしいシュークリームが連なったキーホルダーだった。シュークリームの間に挟まったクリームはそれぞれ色が違って、美味しそうかと言えば決してそうではないのだが、キーホルダーとしてはとても可愛い。確かにどちらかというと、彼女の趣味だ。

「可愛いなーこれ」
「うん……貴大の趣味じゃないとは、思ったんだけど……お揃い、なの」
「え?」
「同じの、私も買っちゃったの」
「お揃いでつけるってこと?」
「あー、やっぱなし!わすれて!」
「え?いや、待って、嬉しいけど!!」

お揃いのものを持ったり、人の多いときに手を繋いだり。人前でイチャイチャするのは彼女が恥ずかしがるからしてこなかったのだけど、これはどういう変化だろうか。何かあったのかとは思うが、花巻にはわからなかった。落ち着かせようと手を握ると、彼女は俯いたままポツポツと喋り出す。

「貴大、昨日告白されてたでしょ」
「え、知ってたの」
「ごめん……気になって」
「いや、全然、いいけど」

バレてた。彼女に心配をかけるのもよくないと思って何も言わなかったというのに、女の勘は恐ろしい。それでさらに俯いてしまったものだから、どうしよう、と花巻は慌てた。岩泉のことで泣きそうな顔をする彼女を慰めたことは何度もあるけれど、自分のことで泣きそうになる彼女を慰める方法がわからない。こんな事態を想定していなかった。

「だめなの、私」
「……何が」
「貴大のこと、誰にも渡したくない」

衝撃だった。二人の距離は、だいぶ縮んだとは思っていたけれど、彼女がこんなことを言うほどとは全然思っていなかった。花巻は天を仰ぎそうになるのをなんとか堪える。なんだこれ。なんだこの可愛い生き物。こんなのと部室に二人っきりでいて自分の理性は大丈夫だろうか、と花巻はさっきまでと違う意味で慌てなければならなかった。

「だから、これ、お揃いでつけてほしい」

つまり。つまり、昨日の告白で彼女がヤキモチをやいて、他の女子を牽制するためにお揃いのものをつけたいと。

「ヤキモチやいたってこと?」

握る手に力がこもる。どうやら、そういうことのようだ。

「なぁ、そういうの好きな子から言われたら、男はすげー嬉しいの」
「……ほんと?」
「まじまじ。あとさ、ちなみに」

繋いだ手を引いて、耳元に唇を寄せた。

「俺ものこと、誰にも渡す気、ねーからな」

耳まで赤く染まるという可愛らしい反応をする彼女を、花巻は思いっきり抱き締める。小さなシュークリームが、二人の手の中でコロンと揺れた。





(2015/6/18)